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【コラム】海外通信員

40歳からの挑戦

[ 2022年1月19日 16:00 ]

【コラム】海外通信員(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)
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 1982年W杯に出場したイタリア代表のキャプテン、ディノ・ゾフは当時、大会史上最年長となる40歳で優勝を遂げた。その後は40歳以上の選手がW杯に出場することが珍しくなくなったが、あの時13歳だった私には、彼が現役選手としてプレーしているとは信じ難いほどの年配者のように見えた。テレビの実況で「ベテラン」と呼ばれていたものの、その呼び名がしっくりくるのは同じチームにいた29歳のガエタノ・シレアやフランチェスコ・グラツィアーニであり、ゾフは「長老」と呼ぶ方が相応しいのではないかと思ったのを覚えている。

 あれからおよそ40年の月日が流れ、53歳になった私の目には、あの大会でのゾフが若々しく映るのだから勝手なものだ。実際、選手寿命は明らかに延びており、今となっては30代の選手たちが「ピークを過ぎた選手」と言われることにも違和感を覚える。大切なのはピッチの中で我々をどれだけ楽しませてくれるかであって、市場価値を気にするのは代理人やクラブのスカウティング担当だけでいい。若手のスター候補出現に胸を躍らせつつ、アンダー40世代の名手たちの熟練したプレーを満喫できるなんて、昔は考えられなかったことだ。

 将来有望な10代の若手が続々と頭角を現すアルゼンチンでも、アンダー40のスター選手たちが国内のサッカーシーンに華を添えている。「プルガ」ことルイス・ミゲル・ロドリゲス(コロン所属、37歳)とガブリエル・アウチェ(ラシン所属、35歳)はその代表格で、どちらも年齢を感じさせないスピードと南米の選手特有のテクニックでトリッキーなプレーを披露しては観る者を魅了する。欧州で活躍することもアルゼンチン代表に定着することもなかったが、所属チームを越えて愛され、多くのメディア関係者やファンからリスペクトされる存在だ。

 また、アンダー40だけでなく、40歳を過ぎてからもスパイクを脱がず、新たなチャレンジに挑む者もいる。

 「マクシ」ことマクシミリアーノ・ロドリゲス(41歳)とレオナルド・ポンシオ(来たる1月29日で40歳)は昨年限りでプロとしてのキャリアを終えたが、故郷サンタフェ州の地方リーグでプレーを続けることが決まった。マクシの場合は古巣ニューウェルスの元チームメイトで同じく昨年引退したイグナシオ・スコッコ(36歳)が会長を務めるウゲスFCに加入し、ポンシオは幼少期にサッカーを始めたクラブ、ウィリアムス・ケミスに復帰。地方リーグとはいえ、ウゲスが参戦するリーガ・ベナデンセが創設されたのは1926年、ウィリアムス・ケミスが属するリーガ・カニャデンセは1923年と、ともに100年近い歴史がある。サンタフェ州はアルゼンチンにおいても屈指の「才能の宝庫」だが、マクシやポンシオほどの実績を持つ選手が人々の暮らしに密着した地方リーグでプレーすることは、プロを目指す多くの子どもたちにさらなる刺激と学びを与えるに違いない。

 そのマクシとポンシオと一緒に2001年のU20W杯で優勝した時のアルゼンチンU20代表メンバーだったアンドレス・ダレッサンドロ(40歳)は、サポーターに溺愛されながら2020年12月に涙の別れを告げたインテルナシオナル(ブラジル)に復帰。昨年ウルグアイの名門ナシオナルで1シーズン過ごし、スーペルコパを制してタイトルを獲得した後、そのままプロ生活に終止符を打つかと思われたが、12年間プレーした最愛のインテルナシオナルで引退する決意を下した。契約は4ヶ月間、4月15日に41歳の誕生日を迎えるまで現役としてプレーすることになる。

 40歳を過ぎてもピッチで躍動し、サポーターやクラブ関係者に夢と希望を与え続ける彼ら。今から10年後には、より多くの選手たちが同じ道を歩んでいるかもしれない。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

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