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【コラム】海外通信員

セレッソ大阪の岡澤選手がブラジルで勝ち取った10番

[ 2023年2月24日 22:30 ]

C大阪 MF岡澤昂星
Photo By スポニチ

 ブラジルは学校の新学期もサッカーシーズンも1月が始まり。とはいえ、2月(もしくは3月・陰暦のため毎年変動)のカーニバルが終わらないと新年が始まらないと言われるが、今年は2月18日から22日がカーニバル期間だった。コロナ禍の影響もすっかり終わり、今年のカーニバルで興味深かったことは、サンパウロのコンテスト一部リーグで優勝したテーマ(1部は16チーム。採点制で優勝を競う)が『弥助』、信長の家来のアフリカ出身の黒人を取り上げたのだ。アニメ『Yasuke』(ネットフリックス)の影響かもしれないが、黒人の誇りと人間の誉れを貫いた弥助を讃え、「黒人達よ。自分たちはみんな弥助なんだ。偏見や差別と闘い、誇りを持って生き抜いた黒い侍。」と訴えた。日本の侍への敬意の深さ、日本という国へのリスペクトが表現されたのは、世界最大の日系社会のある超親日国のブラジルならではだ。

 さて、オフ明け最初の注目される大会といえば、コッピーニャ。ブラジルのメディア、ファン、クラブ関係者が新人発掘に目を光らせる育成部最大の祭典だ。ブラジルで育成部とは一般的にU20までで(U23があるチームもある)、それ以降はトップチームに上がらなければ、育成部クラブを離れ他クラブに移籍するか、契約が決まらなければサッカー選手として生き残れない。その生き残りをかけた選手達が凌ぎを削るのがコッピーニャなのだ。

 2022年8月にヤンマーがプレミアム・パートナー契約をしているブラジルのレッドブル・ブラガンチーノにセレッソ大阪から18歳の新人選手が送り込まれた。この年、セレッソの育成部からたった一人トップに上がったボランチの岡澤昂星(おかざわこうせい)選手だった。

 8月にレッドブル・ブラガンチーノに加入した時、彼は日本から来た何者でもない一選手に過ぎなかった。チームメイトから見たら、日本から来たお客さん程度だっただろう。

 それもそのはず。ブラジル人は日本人に対するリスペクトは大きいが、ことサッカーに関しては日本人選手、日本サッカーに対する先入観がある。なんといっても、ブラジルはW杯5回優勝、FIFA世界最優秀選手賞(バロンドール)に選ばれている選手が何人もいるサッカー王国だ。W杯ベスト16より上にまだ進めない日本と比較するには厳しい。当然、日本から来たかわいらしい選手を見て、いきなり期待など誰もしなかっただろう。

 着いてしばらくはセレッソから同行してきたスカウト担当の都丸さん、短期研修の木下慎之輔選手もいたが、一人になった後、自分で全てに立ち向かわなければいけなくなった。練習時は通訳をしてくれるマリオ・コミヤコーチがいたとはいえ、自分が動かなければ前進しない。”日本人の自分の価値を認めさせる”、ここからスタートした。

 U20で練習を開始してみて、決して技術的なレベルが日本人が劣っているわけではないとわかった。

 「日本との違いを実感したのは、練習での気合の入り方。中途半端なプレーはしない。今後の自分の人生に関わってくるから」

 ブラジル人の選手達に見えているのは世界なのだ。そんな中に入って今までやってきたことだけでは足りないと気づいた。監督に求められるプレーを尋ねたり、パスだけでなく、攻撃にも絡む積極性を見せたり、これまでの自分の枠を超えて、パスが得意なボランチからゴールに絡む攻撃的MFに成長していった。

 また、チームメートとコミュニケーションを取ることにも積極的に努めた。

 「家に呼んでもらえるようになった。」

 裕福、普通、貧困と違うタイプの家庭を訪問して、ブラジルの格差社会を目の当たりにした。共通したのは温かく迎えてくれたことだった。

 チームメートからも信頼を勝ち取り、3ヶ月後には監督から10番を任されるようになった。

 ブラジルではどんなチームだろうが、それが草サッカーであろうが、特別な背番号だ。ペレからの伝統でレッドブル・ブラガンチーノという上級クラブで10番として認められたということは想像以上にすごいこと。

 ポルトガル語でSe virar (シ ヴィラール)という言葉がある。困難に対して自分で工夫してなんとか乗り越えるという意味だ。まさに岡澤選手はSe virar をやってのけた。

 「自分を認めてくれていない選手もいた。」

 なにくそと思うことも異国でやっていくのに避けて通れない壁だった。

 コッピーニャは128チームが参加するグループリーグ(4チームごと)から始まった。岡澤選手はデビュー戦で1アシスト、1ゴールを決め最高のスタートを切った。

 ブラガンチーノはグループトップでノックアウトステージに進んだ。中2日のかなりタイトなスケジュールになる。しかも、勝ち残り次第で試合会場も何100キロ離れたところになるという厳しいコンディションだ。真夏の炎天下で試合することもあり、体力の消耗も激しく、リカバリーがわずか数時間でもパフォーマンスに大きく影響する。1回戦、2回戦はリオの名門ボタフォゴにも勝ちベスト16まで来たが、アメリカ・ミネイロ(昨年のセミファイナリスト)に1-0で負けてしまった。

 自分の意見を論理立てて話すことができる、そんな冷静な岡澤選手だったが、惜敗した試合直後は、悔しさが溢れ出し、涙で目を真っ赤にしていた。ただ負けて悔しいだけじゃない。10番の責任を痛感し、敗戦の重みを身体いっぱいに背負っていた。

 アルトゥール・イチロー監督は、そんな岡澤選手に対して

 「本当によく10番をつけてチームを率いてくれた。彼が勝ち取った10番だ。サッカー人生においてこれから何回もこういう敗戦を経験するだろう。1000回転んでも立ち上がれば良い。」

 当初12月までだった契約期間をコッピーニャ終了にまで伸ばして岡澤選手中心のチーム作りは間違っていなかったと。

 6試合出場し、3点1アシスト。立派な成績だ。この半年で、岡澤選手は選手としても人間としても大きく成長した。

 日本人選手、日本という国を丸ごと背負って出場したコッピーニャで彼は間違いなく日本人選手の価値を高めてくれた。19歳のJクラブアカデミー育ちの選手が同世代のブラジル人選手と対等にやれるところを見せたのだ。

 日本人選手、日本サッカーの価値を日本人自身が過小評価していないだろうか。特に金銭的に。ブラジルは育成選手を立派に育て、少しでも高く海外のクラブに売ろうとする。クラブにとっての収入源であり、選手にとっても夢の実現だ。サッカーはビジネス、それもビッグマネーが動く。

 若い選手がトップチームでプレーする機会を得て経験を増やし、海外からも注目され欧州移籍を果たす。こんなことがもっとあってもおかしくない選手が日本にはどんどん育っているのではないだろうか。Jリーグ発足から30年。今の若手選手達の技術力、戦術力はかなり高くなっている。カタールW杯でもそれは証明されている。海外移籍、それもゼロ移籍などではない育成クラブも、選手もが投資に対してのリターンが受け取れるような移籍が活発に行われことが当たり前になる日は来るのだろうか。

 岡澤選手がブラジルに残した足跡を見ながらそんなことを考えた。

 ちなみに、2023コッピーニャ優勝はブラガンチーノが負けたアメリカを決勝で倒した2連覇のパルメイラスだった。デスタッキ(活躍した選手)のFWケヴィン(20歳)はウクライナのシャフター・ドネツクから1000万ユーロのオファーを受けたが、クラブの設定金額は3000万ユーロなので断ったという。トップチームのアベウ・フェレイラ監督が起用を準備している。

 キャプテンのエンヒ(ブラジル代表U17世界チャンピオン)はすでに21歳になり育成部は卒業だが、パルメイラスのトップチームで居場所がないので、レンタルでMLSのダラスに新天地を求めることになった。

 今回のコッピーニャにはもう一人日本人選手がいた。元ブラジル代表のエジミウソンが主催するSKA Brasil (スカ・ブラジル)の甲斐翔大選手だ。1試合に出場した。(大野美夏=サンパウロ通信員)

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