奈良岡朋子さん肺炎で死去、93歳 劇団民藝代表 「新たな旅が始まりました」とメッセージ

[ 2023年3月29日 15:41 ]

奈良岡朋子さん
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 演劇界を代表する女優で、劇団民藝の共同代表を務める奈良岡朋子(ならおか・ともこ)さんが23日午後10時50分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。93歳。東京都出身。劇団民藝が29日、発表した。葬儀は近親者のみで26日に執り行われた。故人の遺志により、お別れの会は行わない。60年以上にわたり、舞台や映像の世界で活躍。多くの仲間、後輩から慕われた大女優だった。

 劇団民藝は奈良岡さんが生前にのこした本人のメッセージを伝えた。「新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです。未知の世界への旅たちは何やら心が弾みます。向こうへ着いたらすぐに宇野(重吉)さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコではないですよ。“デコ、お前ちっとましになったな”と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。胸が鳴ります。杉村先生(杉村春子さん)とももう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします」なとどした。さらに「両親に挨拶するのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます」と石原裕次郎さんや美空ひばりさんへの思いもつづられた。

 民藝同期の大滝秀治さんが2012年10月に87歳で亡くなった後も劇団員たちの精神的な支柱であり続けた奈良岡さんが静かに逝った。ライフワークとしていた一人語り「黒い雨―八月六日広島にて、矢須子―」を20年8月6日も新潟で上演。22年2月には渋谷パルコ劇場で朗読劇シリーズ「ラヴ・レターズ」に岡本健一(53)とともに出演するなど元気な姿を見せていた。

 父は日展参与を務めた洋画家の奈良岡正夫氏。DNAを受け継いだ娘の奈良岡さんも戦後、女子美術専門学校(後の女子美術大学)で学んだ。在学中の1948年に民衆芸術劇場付属俳優養成所を受験し、大滝さんとともに補欠ながら合格。500人以上が応募して合格者は47人だった。

 快く思わなかったのが父の正夫氏。「役者を目指すと宣言した時、愛用の絵の具を父親に取り上げられた。趣味で絵をやるのはオレが許さんという訳だったのでしょう」と本紙の取材に明かしたこともあった。

 48年の「女子寮記」で初舞台を踏み、50年に宇野重吉さん、滝沢修さんとともに劇団民藝創設に参加。旗揚げ公演の「かもめ」に小間物使いの役で出演した。54年には「煉瓦女工」で初主演。ほか「イルクーツク物語」のワーリャ役や「奇跡の人」のサリバン役などに出演し、キャリアを積んだ。

 舞台だけでなく早くから映像にも進出。49年の「痴人の愛」や、52年の新藤兼人監督作「原爆の子」などに出演。65年には「証人の椅子」、70年には「どですかでん」「地の群れ」の各演技で毎日映画コンクール女優助演賞を受賞。01年には「ホタル」でブルーリボン賞助演女優賞に輝いた。松竹「釣りバカ日誌」シリーズでは三国連太郎さんが扮した“スーさん”こと鈴木社長の夫人を演じた。

 TBSの東芝日曜劇場枠を中心に50年代からテレビドラマにも積極的に出演。「花の生涯」(63年)「天と地と」(69年)「江~姫たちの戦国~」(11年)などNHK大河ドラマにも多く出演し、「いのち」(86年)「篤姫」(08年)ではナレーションを担当した。

 60年を超える女優生活で多くの芸能仲間たちと親交を深め、後輩たちからは慕われた。舞台やTBSドラマ「おんなの家」シリーズなどでの共演が縁で、杉村春子さんにかわいがられたのは有名。石原裕次郎さんが「最も尊敬していた女優」と公言したほどで、裕次郎さんが勇退した人気ドラマ「太陽にほえろ!PART2」(日本テレビ系、86年11月~87年2月)で女ボス役で出演した。

 美空ひばりさんは大親友で、ひばりさんを本名の「和枝」と呼べた数少ない一人だった。また八千草薫さん、池内淳子さん、草笛光子(89)とはプライベートで「女の会」というグループを結成。さらに黒柳徹子(89)や若尾文子(89)、生前の山岡久乃さんや森光子さんとの親交も深かった。NHKドラマ「水色の時」で共演した大竹しのぶ(65)には実の娘のように接していた。

 紀伊国屋演劇賞、毎日芸術賞、芸術祭賞大賞など受賞歴も多数。92年紫綬褒章、00年に勲四等旭日小綬章を受章。

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