大竹まこと 宮沢章夫さん追悼「宮沢たちがいなかったら今のシティボーイズはない」

[ 2022年9月21日 16:55 ]

タレントの大竹まこと
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 タレントの大竹まこと(73)が21日、パーソナリティ―を務める文化放送「大竹まことゴールデンラジオ!」(月~金曜後1・00)に生出演。12日にうっ血性心不全ため、亡くなった元「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」のメンバーで、劇作家・作家で演出家の宮沢章夫氏(享年65歳)を追悼した。

 宮沢氏は1985年に、大竹まこと、きたろう、斉木しげる、いとうせいこう、竹中直人、中村ゆうじらとパフォーマンスユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成し、1989年まで活動。1990年からは劇団「遊園地再生事業団」を主宰。1992年、「ヒネミ」で岸田國士戯曲賞を受賞した。作家としても活動し、小説「サーチエンジン・システムクラッシュ」は、第122回芥川賞、第13回三島由紀夫賞の候補にもなった。

 大竹は「私たちはもともとコントを自分たちで作っていて、『お笑いスター誕生』に出て。その後、宮沢なんかと出会って、舞台を大きく広げていくんだけど…」と振り返り、「宮沢章夫とまあ10年間やったかな?座付き作家みたいになってくれて演出も担当して。その後(劇作家、演出家の)三木聡っていうのが来て彼も10年…宮沢たちがいなかったら、今のシティボーイズはない」と明言した。

 「(シティボーイズが)サブカルのほうに徐々に流れがいったのも、この宮沢章夫が来て。当時、宮沢が作って1番衝撃的だったのは、ラフォーレ原宿8階の舞台に砂を一面に敷き詰めて『砂漠監視隊』っていうコント。5人の男たちが何もない砂漠を監視するっていう、無限のやることが何もない空間に放り出されて…」と回想し、「ラフォーレ原宿8階の舞台まで、砂を何トン運んだかな、あれ?砂の上でずっ~とコントをやっていて、それを当時のサブカルの若者たちがたくさん観に来てくれた。そんな思い出がある」としみじみ語った大竹。旅立った盟友・宮沢氏について「まことに、65歳で残念だなと思っていますね」と偲んだ。

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