【プロ野球・球宴名場面(9)】イチロー登板、打者・松井、怒りの野村監督 真夏の夜に消えた夢

[ 2022年7月26日 16:20 ]

1996年7月21日、第2戦の9回に登板したイチロー
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 2リーグ分立翌年の1951年にセ・リーグとパ・リーグの対抗方式で産声を上げ、今年で72回目を数えるプロ野球「マイナビオールスターゲーム2022」が7月26日(福岡PayPayドーム)27日(松山・坊ちゃんスタジアム)に開催される。昭和から平成、令和…巨星たちが数多の名勝負を繰り広げてきた真夏の球宴。野球ファンの記憶に刻まれた名場面ベスト10(スポニチ選定)を紹介する。(所属、球団名、登録名、球場名は当時)

 ■1996年第2戦=7月21日

 9回2死、右翼の守備についていたイチロー(オリックス)がマウンドに走ってくる。次打者は松井秀喜(巨人)。イチローが投球練習を重ねるごとに歓声のボルテージは上がった。

 全パの仰木彬監督(オリックス)は「出番はある」とイチロー登板を予告していたが、本当に実行するとは…。全国のプロ野球ファン、出場している全セ、全パの選手たちのワクワク感はMAXに達していた。

 その時だった。三塁ベンチから全セ・野村克也監督(ヤクルト)が松井の耳元に口を寄せる。やりとりの後、松井はベンチへ。野村監督は投手の高津臣吾(ヤクルト)を代打に指名。“夢の対決”は夢のまま。結局、イチローは高津を遊ゴロに打ち取って試合は終わった。

 野村監督は「オールスターという格式の高いイベントを冒とくしている。やられる側の気持ちを考えてほしい」と仰木采配を批判。「試合を放棄しようかとも思った」とも言った。

 当の松井は試合後「“正直言ってお前、イヤだろう?”と聞かれたので“僕はどっちでもいいですよ”と答えた。ピッチャーを代わりに打たせるというので…」。微妙なニュアンスは違うが野村監督の意図を概ね理解して退いたことを明かした。

 イチローは「高津さんと聞いて全力では投げられないと思いました」。仰木監督は「野村監督?相手のことは関係ありません」と野球哲学の違う敵将を完全無視した。後にメジャーで活躍した両雄が交錯しかけた真夏の球宴。球界の内外を巻き込んだ論争は今も結論は出ていない。

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