【内田雅也の追球】“音のない世界”への挑戦 集中力と無心の中間、平常心がもたらす効果

[ 2022年7月6日 08:00 ]

雨音が響き、試合が中止となった甲子園球場(撮影・坂田 高浩)
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 台風が九州に上陸しても、甲子園では晴れ間が見え、セミが鳴いていた。ただ大合唱ではなく、鳴き声はわずかだ。梅雨は観測史上最速で明けたが、どうも今年のセミはおとなしい。やんでいた雨が降りだし、声もしなくなった。しばらくしてナイターの阪神―広島戦の中止が発表された。

 暑さを倍加させるセミの声を聞いたからか、音について考えた。コロナ下で声を出す応援は禁止されているが、球場内は常にざわめき、応援歌は流れ、手拍子がある。いわば騒音のなかにある。

 それでも、鳥谷敬は現役時代、打席で場内の音は一切聞こえなかった。2019年のキャンプ、広澤克実(本紙評論家)との対談で明かした。前年18年、連続試合出場が止まった後は「それまで打席の中で音は全く聞こえていなかったのが、以降の何日間は音が聞こえる打席があった」。

 周囲の雑音をいかにシャットアウトして、打席に臨めるか。あるいはマウンドに立てるか。

 映画『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』(1999年)では、大リーグ・タイガースの40歳の投手ビリー・チャペルが優勝のかかったヤンキース戦で完全試合をやってのける。試合終盤、周囲の音や風景が一切消えたシーンが幾度か出てくる。

 原作のマイクル・シャーラの小説『最後の一球』(ハヤカワ文庫)に描写がある。<プレートを踏むと周囲の物音がじょじょに薄れていった。(中略)スタンドの騒音も聞こえない。いま彼がはいろうとしているのは、せまく、透明で、強烈な、魔法の世界だった>。

 いわゆる「ゾーン」。集中力を究極に高める<高度の精神統一>だ。

 元セ・リーグ職員で、芥川賞作家となった清岡卓行が<「集中力」は西洋的で「無心」は東洋的>と『猛打賞 プロ野球随想』(講談社)に書いている。82年のオールスターで掛布雅之が色紙に書いた「平常心」を<これら二つの中間>とみていた。張本勲も集中力や無心ではダメで<平常心がいいと話していた>そうだ。<「集中力」にときとして生じる力みすぎの固さをほぐすとか、「無心」が陥りかねない無気力を防ぐとか、そうした消極的な効果をもつ>と考察している。

 集中力、平常心、無心……プロは、音のない世界へ、試行錯誤しているのである。=敬称略=(編集委員)

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2022年7月6日のニュース