【内田雅也の追球】前田高地で松木を思う。 激戦地を生き抜いた阪神初代主将

[ 2020年2月22日 08:00 ]

沖縄戦激戦地、前田高地に建つ「平和之碑」 
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 沖縄・浦添城跡一帯の丘陵は前田高地と呼ばれる。今の浦添市内で最も高い場所で標高148メートルあるそうだ。

 戦時中、司令部があった首里を望めるこの地は沖縄戦の中でも最激戦地の一つだった。凄惨(せいさん)な戦闘は「ありったけの地獄を一つにまとめた」と言われた。

 米軍は鋭く切り立った断崖から「ハクソー・リッジ」(弓鋸の嶺)と名づけた。同名の映画が監督メル・ギブソン、主演アンドリュー・ガーフィールドで2016年、公開された。

 阪神キャンプ休日の21日、その前田高地を訪ねた。ディーグガマと呼ばれる御嶽を過ぎ、ガジュマルの大木を眺めて歩いていると、紺色のシャツを着た老人が独り、木陰で根に腰かけている。あれ? 先ほどまではいなかったのに……と思いながら近づいていくと誰もいない。ただ、風が音をたて、森が鳴いていた。不思議な体験だった。

 戦没者名が刻まれた「前田高地平和之碑」に参り、焼け落ちた首里城の方向を見晴らした。

 思いを寄せたのはタイガース初代主将で、監督も務めた松木謙治郎である。沖縄戦に従軍した松木はこの前田高地での激戦を生き抜いた。

 泊まっているペンションのオーナーは「前田高地! あそこは凄い所です」と言った。まだ40代と若いオーナーだが、沖縄の人びとは小学生時代から沖縄戦の歴史をよく学び、十分に知っている。道中、立ち寄った資料館、浦添グスク・ようどれ館でその話をすると、職員たちは「それは奇跡ですよ」と言った。

 著書『阪神タイガース・松木一等兵の沖縄捕虜記』(現代書館)に実に詳しく記されている。

 炊事担当の松木は前田高地から、1メートル以上の大鍋をかつぎ、首里に向かう命令を受けたが、周囲から米軍の攻撃はすさまじい。夜間、中央突破を決行する。米軍戦車の深いわだちをほふく前進した。穴を見つけて身を伏せた。酒豪の松木は腰に下げた水筒の酒を飲み、たばこを吸った。

 <銃声がやんでしばらくすると、台上から「天皇陛下万歳」という全身の力をふりしぼったような声が聞こえてきた><このときほど勇ましく悲愴(ひそう)な声を聞いたのは人生で初めてで、恐らく最後と思われる>。この突撃で多くの日本兵が戦死した。松木は敵無事、首里に着いた。

 むろん、この後も激戦は続き、摩文仁まで逃げ、泳いで本島西海岸を行き、捕虜となった。すさまじい体験記である。

 いま、前田高地に立てば、ヤクルトキャンプ地の球場が見える。野球ができるありがたさを思うため、歴史を知りたい。歴史からしか学べない。

 たとえば、日本ハム監督の栗山英樹は論語、菜根譚、十八史略、韓非子……など古典を読む。「野球の作戦なんて誰でも考えられる。人間は歴史、過去からしか学ぶことができない」。野球以外から、野球を探ろうとしている。

 生き延びた松木は戦後、再び阪神監督に就き、チーム再建に努めた。東映コーチ時代の教え子、張本勲(本紙評論家)は「恩師」と慕った。「情に厚く、思いやりがあり、そして剛毅(ごうき)な方だった」と聞いた。

 1985年日本一を見届け、同年12月の祝勝パーティーにも出た。その2カ月後、86年に逝った。この日が命日だった。=敬称略=(編集委員)

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