野村克也氏にとってシダックス時代とは…克則氏「アマの指導は野球の原点と…本当に濃い3年間」

[ 2020年2月22日 20:45 ]

野村克也さん
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 22日放送のTBSのドキュメンタリー番組「バース・デイ」(土曜後5・00)で、11日に虚血性心不全のため亡くなった野村克也氏(享年84)の社会人野球・シダックスの監督時代が取り上げられた。

 野村氏は99年から3年間、阪神の監督を務めたものの3年連続の最下位。01年オフに沙知代夫人の脱税疑惑もあり、監督を辞任した。もうユニホームを着ることはないだろうと思われたが、その後、02年11月にシダックスの監督に就任。再びユニホームに袖を通した。

 息子の楽天・克則作戦コーチ(46)は当時を振り返り、「ああいう事件があって辞任することになって、正直元気がなかったということもあったので、形はどうあれアマチュアの方で指導者に復帰したというのは、父にとってプラスだったんじゃないかなと思います。また野球に携わっていけるというところで『よし、やってやろう』っていう思いとかも伝わってきました」と話す。

 だが、プロで指揮を執ってきた野村氏は、当初はレベルの低さに驚いたという。だが、「何のためにやっているということ。それが一番の問題。ただ趣味でやっているならやめてもらわなあかん。こんな根性じゃとてもじゃないけど上へ行けない。廃部だよ。せっかくみんな好きな野球をさせてもらって給料もらってるんや安いか高いとか、そんなことは問題じゃない。好きなことやらしてもらってるんや。そういう事に対して報いなきゃ」と選手に説き、意識の改革を行い、03年には都市対抗でチームを準優勝に導いた。野村氏は「野球ができることの喜びを感じてほしい」と語っていた。

 克則氏も、社会人野球の監督だった3年間を「アマチュアの指導というのは野球の原点だったと言っていたので、本当に濃い3年間、意味のある3年間、すごい思い入れ深い3年間になったのかなと思いますね」と振り返る。

 その後、05年に楽天の監督に就任、09年に球団初のクライマックス・シリーズ(CS)進出を決めたものの、CS直前に解雇通告を受け、ファイナル・ステージで日本ハムに敗れて、監督生活は幕を閉じた。「いざクビを宣告されて、二度とユニホームを着ることがないと思うと人生も終わったような気にもなるし、一人になって考えれば俺は本当に野球が好きなんだな。野球との別れっていうのがたまらなくむなしいというか悲しい」と語る野村氏。試合前のミーティングで選手らに解雇通告を受けたことを告げ、涙を見せる場面もあった。

 CSで敗退が決まった試合後には、敗戦チームの監督にもかかわらず両軍の選手たちによって胴上げされた。当時、楽天のバッテリーコーチを務めていた克則氏も「最高の終わり方だったなって言ったんですよ。あんな終わり方ないって。監督冥利に尽きるんじゃないか。それだけ人望があってみんなから愛されて、そうでなきゃ、あそこで胴上げなんて始まらないと思うんですよ」と語ったが、克也氏は笑うばかりだったという。プロとしての選手生活は27年間。監督生活はプロで24年、社会人3年間に及んだ。それでも、その笑顔を見た克則氏は「もうちょっとやりたかったみたい」と明かしていた。

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