「昭和の野球VS平成の野球」だった平成最後の甲子園決勝

[ 2018年9月10日 10:00 ]

平成最後の甲子園決勝はまさに「昭和の野球VS平成の野球」だった。歓喜の大阪桐蔭ナインと肩を落とす金足農ナイン
Photo By スポニチ

 100人いれば、100通りの野球観がある。そこにセオリーはあっても、絶対的な正解はない。

 ちょっと時間は戻るが、甲子園準決勝、決勝を取材した。高校野球の決勝を現地で見るのは、実に19年ぶりとなったが、テレビで観戦していたそこまでの戦いぶりを含めて金足農の野球を見ていると、いろんなをことを感じた。

 話題となったのは、秋田大会からの「9人野球」。そしてエースの吉田輝星が大阪桐蔭との決勝で力尽きるまで、すべて一人で完投し続けてきた姿だ。攻撃も徹底していた。走者が出塁すれば「バント」で進める。

 1969年夏の決勝で三沢のエースとして、松山商と延長18回、翌日の再試合一人で投げ抜いた太田幸司さんは、レジェンド始球式に参加するため甲子園を訪問。大阪桐蔭と金足農の決勝を「昭和の野球VS平成の野球」と言った。

 いわゆる全国屈指の強豪私立校と違い、秋田の公立校は全員が地元出身で構成されている。しかも、その戦いぶりはどこか昭和の薫りが漂った。ただ、金足農は34年前の夏に甲子園4強まで進出。春夏通算9度目の出場となった強豪で、決して無名の公立校ではない。

 部員50人。選手が9人しかいないわけではないし、ベンチ入りしたのは、競争を勝ち抜いたメンバーだ。地元の有力選手が並んだ打線は、秋田大会でもチーム打率・321をマークしていたし、甲子園でも全国トップレベルの投手からコンパクトな打撃を披露した。

 余裕がある試合展開になれば、下級生に経験を積ませるのも手なのではないか。吉田以外の投手をマウンドに送ってもよかったので…、そんな意見を耳にした。事実、決勝で6回からマウンドに上がった打川は、130キロ台後半の力強い直球を投げていた。大阪桐蔭打線を3回1失点に抑え、十分に好投手といえるレベルにあったが、金足農は「9人野球」「エースの先発完投」「バント野球」を貫いた。

 一番驚いたのは、近江との準々決勝で9回無死満塁からの2ランスクイズだった。本塁がタッチプレーとならない場面でのスクイズは難しい。さらに二塁走者の判断。チームNo・1の俊足という菊地彪は「三塁に転がったらホームまで行こうと思っていた」というが、三塁でストップしてもなお1死二、三塁だ。練習試合で成功し「自信があった」としても、一般的には「セオリー」と言えないだろう。

 それでも「金足農の野球」はことごとく成功し、勢いも増した。今夏、秋田大会から甲子園決勝まで1517球を投げた吉田は完投するために、「ギア」を三段階に分けて球速を使い分けた。エースとして最後までマウンドを守るために磨いてきた技だ。

 バントへのこだわりについて、中泉監督は「まずは走者を進めてワンヒットで1点。フライでアウトになったり、ゴロで併殺になるよりも相手にプレッシャーを与えられる」と説明した。複数の投手による継投策が常識になってきた時代の中で、エースが完投する。最新のウエートトレーニングに、プロテインやサプリを摂取。強靱な体を手にした高校生が金属バットを使えば、パワフルな打撃は可能になる。それなのに、最後までバントにこだわった。

 超高校級の右腕がいたから強かった。もちろんそうだろう。でも、それだけで勝てるわけではない。金足農ナインは「昭和の野球」にスパイスを効かせ、「自分たちの野球」を最後まで愚直に表現していた。目指すべき野球はいろいろあるが、こういう野球でも、まだ全国の頂点を狙えると分かった。平成最後の甲子園はおもしろかった。(記者コラム・横市 勇)

続きを表示

「大谷翔平」特集記事

「始球式」特集記事

2018年9月9日のニュース