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【コラム】海外通信員

サントン“優等生”の裏側

[ 2011年2月27日 06:00 ]

 インテルの練習場「ピネティーナ」は、ミラノ市内からかなり離れたところにある。北西約30km、車で行く場合にはスイス方面へ抜ける高速道路を使いつつ、およそ40~50分掛かる。鉄道の場合は市内から、やはりスイス国境に近いコモ湖方面へ向かう列車に乗り約30分、ロマッツォという駅で降りる。そしてアッピアーノ・ジェンティーレ行きのバスに乗り、そこからさらに徒歩で15分~20分。田園風景の中にインテルのフラッグと駐車場、さらにはゲートに隣接している小屋が現れる。ミラノ市の慢性的な社会問題であるスモッグからも解放され、緑に囲まれ練習には最適な環境だ。だが、遠い。

 にもかかわらず、このピネティーナの通用門には人だかりが絶えない。練習が非公開であろうと変わりはない。熱心なインテリスタ達が車で出てくる選手に声を掛けたり、またサインを貰おうと”出待ち”をしているのだ。長友が移籍して間もない1日、そこに集うファンに印象をきいてみた。「チェゼーナの試合はあんまり注意して見ていないけど、インテルが取ると決めたぐらいだからいい選手には違いないだろう。その通りのパフォーマンスはしてくれることを期待しているよ(ミリアムさん、27)」。「僕はチェゼーナの試合を見たけど、非常に速い選手でいい印象を受けたね。キブも本来はSBでの選手じゃないから、インテルには本職の左SBがいなかったんだ。良い補強として期待してるよ(アレッサンドロさん、40)」。

 その中に一人、3度のスクデットに初の欧州チャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)制覇を果たした’60年代の黄金時代を知っている、80歳のグイドさんというご年配のファンがいた。「非常にスピードのある選手だし、アジアカップでもクロスで得点をアシストする様子は見とったよ。ただもちろん、チェゼーナで良かったからと言ってインテルで活躍出来るかは別だよ。というのも…」彼は続ける。「ミラノという街は若者にとってはとても誘惑の多い街でな、サントンはそれでチヤホヤされて、一生懸命練習することを忘れてしもうたんだ」。長友と入れ替わるように、チェゼーナにレンタルで放出されたダビデ・サントンのことだ。

 インテルの下部組織出身の生え抜きで、左右両方が出来るサイドバック。20歳という若さながらフル代表の経験もある。2008年、モウリーニョ監督(当時)によってトップチームに引き上げられて以来、「インテルの将来を担う存在」「ファッケッティ(インテルの”レジェンド”である左SB。故人)の再来 」と騒がれた存在である。それを押しのけたのだから長友の移籍はファンから反感を買っているのではないかと思ったが、実際は愛想を尽かされていたのだ。昨シーズンにコンディションが整わず、モウリーニョ監督は彼をたびたび試合の招集メンバーから外した。メディアはバロテッリ(現マンC)の遊び人ぶりをおもしろおかしく書き立て、「サントンは優等生、代表にも選ばれる力のある彼を使わないモウリーニョが悪い」などと論じていたが、地元で物事を見聞きするファンは厳しいものの見方をしていた。夜な夜なクラブ通いをする彼の姿も目撃されていたのだという。

 今季に入ってもサントンのパフォーマンスは一向に良くならず、先発のチャンスを貰った1月31日のパレルモ戦で2失点に絡み前半で交代させられてしまった。長友獲得のオペレーションを進めていたクラブは、彼に出場機会を与え修行に出す意味も込めて、チェゼーナに提示する条件面に盛り込んだのである。覚悟を決めた。「僕は(こういう状況に追い込んだ)自分自身にがっかりした。正直最初は乗り気じゃなかったけど、僕はチェゼーナで頑張ることにした。そしてインテルに戻りたい」。とはいえ移籍先でも出場はわずかに2試合で、ポジション争いでラウロの後塵を拝している。

 もっともマイコンやキブ、サネッティを相手にしなければならなかったポジション争いはただでさえ厳しく、20歳そこそこの若者には余計辛い状況だっただろう。そしてポジション争いの厳しさは長友にもそのまま当てはまるものだ。「ナガトモはどういう性格なのかね?われわれインテリスタは選手の頑張りを見とるから、サボらず、また遊びほうけず頑張れと伝えといてくれよ」。グイドさんの言葉だ。(神尾光臣=イタリア通信員)

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