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シゲキとヤマトシと通天閣物語

[ 2017年3月1日 05:30 ]

「咲輪」で大盛り上がり(左から)シゲキ、塚本大ちゃん、沙耶ちゃん、俺、ヤマトシ
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 「哲ちゃんおえま〜(関西弁=あかん)。でもワシをいろうてくれてありがと」。前回のジャックナイフ勝彦のコラムが掲載された早朝、柳原茂巳(岡山55期53歳)の電話で目覚めた。

 その1週間後、シゲキと俺の同期の山口俊哉(岡山45期58歳)が遊びに来た。場所はワテの兄弟子の塚本大ちゃんの鉄板焼き屋『咲輪』。シゲキの娘、沙耶ちゃんが大阪の大学ということで飛び入り参加。まさに「トンビがタカを産みよったー」ですわ。と同時に俺とヤマトシは「下ネタ厳禁やな」と顔を見合わせたが、そのオブラートは5分で破れたのであった。

 ヤマトシとは競輪学校で同部屋であった。入学式で初めてワテを見て「こんなヤクザみたいやつともし同部屋やったら最悪じゃ」と思ったらしい。4人部屋で確率1/30。割り当てられた部屋に恐る恐る入室すると俺が先にいてて「オーマイガー」。長崎の永田学も同部屋やったが、そういえばマナブもそんなこと言うてたなぁ……。

 この日は深夜3時ぐらいまで昔話に花が咲いた。次の日は通天閣のある新世界に行って串かつを食べよかという約束をして俺はいったん家に帰った。小一時間寝て俺は降りしきる雪の中、カッパを着てバイクで宿泊しているホテルに行った。男のつき合いはこうでないと自画自賛しながら「着いたどー」と電話をすると「ワシら今、通天閣じゃ。えっ?来るって言ってたかの?」。俺は目が点になったが、そもそも酔っぱらい相手に約束した俺が悪い(笑い)。

 この辺一帯は昭和の匂いがまだプンプンと漂う。周りは中国人観光客ばっかりだが俺ら3人が一番の田舎もんのようにはしゃいだ。通天閣の上から「ノーパン喫茶のあべのスキャンダルはどの辺じゃ?」「とっくにない」「じゃ〜飛田新地は?」「あ・そ・こ」「歩いて5分じゃの」。それからの行動がどうなったかは想像にオ・マ・カ・セ。

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの57歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!! 兵庫県、S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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