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ビール、イベント、再会…旅打ちってええもんやなあ

[ 2016年7月1日 05:30 ]

 「ええもんやなぁ~旅打ちってイェーイ」。俺は仕事ではなく初めてこの旅打ちってやらを行ってきた。んでも先に言うときますわ。この文章の入り方だと帯の一つ二つをさぞいわしあげたみたいやけど結果は全敗、頭同様ケツの毛までツルッツルにされちゃいました。ワッハハ~、これは銭金の問題ではなーい。たまには日頃の生活感からワープしなはれってことですわ。ほな高松宮記念杯競輪(名古屋)編の観戦記を…。

 準決勝のある3日目、早朝にダンプ屋の社長Kちゃんが迎えに来た。「哲ちゃんオッハー」。口調は優しいが、いかついベンツから降りてきたKちゃんの風体は俺と同タイプのヤバイ系。チュンチュンと機嫌よくさえずっていたスズメが一斉にフン垂れ流しよったで(笑い)。

 俺は前日1時間しか寝てない。てなワケで助手席はおのずと俺だ。でもいかなる場合でも助手席乗る時は基本、退屈させぬよう爆裂トークに徹する。「俺ら、ちゃんと競輪場入れてくれるんやろね?」てなの会話したのみで気がつけば名古屋到着(アンタ オモイッキリ ネテマンガナー)。

 特観席求めて並ぶこと1時間。腹が減っては戦はできぬとまずは出店へ直行。「サテライトはコレでけへんからなー」とKちゃんはビールでプハァー。レースとレースの間はそこら辺でイベント事があるので退屈はしない。地元選手がやっていたイベントが【ふとももカフェ】。たくさんの地元選手が、盛り上げようと参加協力してました。でも悲しいかな、時代違い過ぎてお互いポッカーン。

 この期間中、小銭でゲットのコラムを掲載してたので「俺見っけたら声かけてねぇ~」と告知してた。でも顔さすのもなんやしと思い俺は、ボルサリーノの中折れ帽にサングラス、1940年代のズートスーツのいでたち。それがかえってアダとなりめちゃんこ声かけられまくったがな~。

 うれしい再会もあった。わが同期の國谷成彦さん。今はどこかの高校の自転車部の監督をしてるらしい。また同期会でも~と握手をするとオカマちっくに去っていきはりました。

 この日の準決勝3個レースは新旧交代になったと思わせる激戦で手に汗握ったね。レースは金網越しに観戦するのがやっぱ最高だわ。でも、ヤジ防止策でか?貼り付けられたクリアボードは実際の迫力と一体感を半減させる。安全策でなら金網のバンク側にボルトを出さなきゃええ事やし。う~ん…なんとかならんの?

 ホテルに帰ると俺は最終日の予想コラム原稿。それから外出してメシ→飲み屋。もちろん朝まで大暴れ。

 雨中の決勝戦は新田祐大が制した。競輪を外側から見て「俺ほんまにこんな仕事してたん?」とメルモちゃん。Kちゃんには世話になった。あんがと。また行こっと誘わないでよ(笑い)。

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの57歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!! 兵庫県、S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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