こんな人脈こんな話

昔の“女房”と久々の会話のキャッチボール

[ 2014年9月1日 05:30 ]

 ハァ~頼むわ~どないかしてくれこの性格を。

 夏休みが終わり2学期が始まると俺は、ある高校に特別授業の講師として招かれている。高校生に下ネタご法度?「えーえー分かってまんがな!」。そんなこんなでいつものぶっつけ本番改め、それなりの起承転結よろしくチト真面目に取り組もうと心に誓ったはずでしたんや。

 月末は豊橋・富山両G3の大穴予想コラムもあるしこの長い方のコラムも重なってるしな、バタバタすることは目に見えて必至。ゆえにこのコラムだけでも、お盆ぐらいまでに余裕のヨっちゃんで仕上げとこっと…てなこと思ってたはずやのに今日が締め切りでハイ、哲也は徹夜や。それが冒頭のため息なんやね。

 幼少の頃から遠足の用意は当日の朝。選手になってから?そりゃもちろんレース当日の朝でんがな。途中から便利な世の中になって宅配便で送れるようになったけど、昔は輪行バッグに自転車詰め込んで旅芸人の地方巡業みたいやったからねぇ~。

 切羽詰まらなでけへんギリ男君にもれなくオマケとして付いてくるのがとんでもない忘れ物ですわ。競輪場着いてから、ヘルメット・レーサーシューズ・選手手帳・プロテクターは日常チャ飯事。最高傑作のブツが、アタチ何を隠そう自家用車でレース参加するのに商売道具の自転車積み忘れたことありまんねん。目が点になるっていう俗語がまさしくコレっしょ! 

 いつもテーマを決めて、それ中心で書き上げて、オチがあってのこのコラムやけど、何のテーマもなくけっこうさばけるもんなんやな。強引に“夏休みの日記”にしとこか(笑)。

 この夏、昔の2番目の女房と再会した。「えっ?哲ちゃんバツ2?」「すまん隠しとって…ってなんでやねん!」。俺は中学も高校も野球部で三つ葉、いやクローバーではなくエースでしたんや。つまり高校時代のキャッチャーと会ったというお話。当時の気心知れた野球部の先輩後輩らワイワイ集まっての一席があってんけどなんでか女房とだけは卒業してから1回も会っとらん。こやつ浜野正司、なかなかロマンスグレーのええ男になっとった。「おまえ、よーさん女いてこましてるやろ?」「おまえと一緒にすんな~」「見たんかえ~」そんなしょーもない会話から始まって「おまえの球のおかげでこの腱鞘炎は今だに治らんわ。けどそれがまたええ思い出やな」と。

 この歳になるとこんな昔話に花が咲くことが、ほんま何よりも心地よい空間なんやなと身にしみるよね。「みんないつまでも元気で長生きせえよぅ~」全員が口揃えこう言いました「おまえじゃ~」と。

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの55歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!! 兵庫・S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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