こんな人脈こんな話

華麗なる転職は天職?

[ 2018年5月1日 05:30 ]

新名神を背に昭和人間がハイ、ピース!
Photo By スポニチ

 気がつけば桜の花も散り俺の頭、イヤ新緑がまぶしい季節となった(てか暑いわ)。今日は「小銭で穴ゲット」とWコラムとなったが、個人的に思い出深い日本選手権ダービーといえば、兵庫の先輩であるリキちゃんこと中里光典(42期)が優勝した大垣ダービー(82年)である。その帰り、リキちゃんによる大盤振る舞いで10数人が金津園のソープランド街(当時はまだトルコ風呂)に乱入。まだド新人やった俺は「ええんやろか…」と恐縮しながらも2輪車変態コースをチョイス。でオマケに延長までするという暴挙。ほんまほんま、あの頃って夢と希望だけに満ちあふれてたのでした。

 12年いたサテライト阪神は今年3月いっぱいでクビになった。最後の出勤日には岡山、香川、そして一番遠くからは九州宮崎からファンの人たちが来館してくれ感謝感激。ただ悲しいかな、サテ阪神の人間は会っても完全無欠のシカトで、あいさつの場すら与えてくれなかった。これはとどのつまり、貢献度がほとんどないと言われた私の不徳の極み。06年からこんな闘病人を支援してくれたサテ阪神には感謝しかない。

 窓から青葉若葉の輝きを眺めながら「ヤバイ氷河期や……」と思ってた時、いつも競輪の旅打ちに俺を連れ回すダンプ屋Kちゃんからの携帯が鳴り「ワシとこ1台余っとるでぇ〜」と天使のささやき。てな流れでダンプに乗っているが、Kちゃんには「今日こそ万枚や」と言葉巧みにスロットに誘う悪魔のささやきもある。コッチのささやきは俺にとって、土砂てんこ盛り積まれたダンプで坂道発進するより恐ろしいのですわ。

 山ほど覚えなあかん新天地でのイロハは、2人並ぶとこの俺がかわいらしく見えるというオラオラ系の井上のマブちゃんが師匠。でも「半クラはダメでちゅよ〜」と赤ちゃん言葉で指導してくれる(笑い)。そう、ダンプの運ちゃんは皆、気は優しくて力持ちなのです。

 これからの野望は「いないいないBAR」の開店。ガンジーはこう言うとる「失敗も成功も自分の人生ちゃいまっか。永遠に生きるかのように学び、明日死ぬかのように生きなはれ」と。おいおい、ガンジーを勝手に関西人にする前にダービーで夢車券当てんかえってか?ほんまやな……ヨッシャ〜ほな頑張るでぇ〜。

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月11日生まれの59歳。元競輪選手(兵庫支部)45期の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。スポニチ本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!!現在もがん闘病中のカリスマ的患者。

続きを表示

バックナンバー

もっと見る