こんな人脈こんな話

天国からのメールはある

[ 2017年11月1日 05:30 ]

 兵庫の選手の中で神戸空港周辺で練習しているグループがある。天気もええし「今回のネタにでも」とバイクをかっ飛ばした。だのにである。んな時に限って選手誰一人と遭遇できなかった。それならとココから目と鼻の先のところにある秘密のベンチに向かった。そこでキンモクセイの花の香りに襲われハッとし、そして感傷的な気持ちに浸った。「10年前のあん時もこの季節やったんやな……」。

 俺は40歳の秋からこのポートアイランドにある神戸中央市民病院で闘病生活を送った。なかなか完治しないこの肉体は4度の再発を繰り返し8年がたった。5度目の正直は同じ島内にある先端医療センターで骨髄移植をした。ガラス越しの完全無菌室から解放された時、ぐるり海に囲まれてるのに海に近寄れないこの人工島の造りにイラッとしていた。病院から北へ大股で545歩のドン突きに高い金網のフェンスがある。立ち入り禁止の看板のその先は小さな丘のようになっていて草木がしげっている。その中に秘密のベンチがあった。もし誰かにとがめられてもジョージ・マロニーの「そこに山があるから」の名言のように「そこにベンチがあるから」と真顔で言えばいいと思った(笑い)。

 六甲山から見下ろす神戸の夜景が1000万ドルと言われてるのならココから見る神戸港一帯の夜景は1億ドルぐらいかなと思っている。広大な海の向こうの大パノラマは、左手は神戸空港、真正面に明石大橋、そこから右手に神戸港の灯台、ハーバーランド、観覧車、ポートタワー、メリケンパーク。夕陽が沈む前後の2〜3時間、ここでボーッと黄昏(たそがれ)ることが俺の日課になっていた。

 同じ病気で骨髄移植をした大学生のY君がいた。病室で引きこもってたY君は「パワー注入してあげて」と看護師さんに連れられて俺の病室にやってきた。その日から俺のバカ話講座が始まった。親子のような年の差だが俺らはすぐに友だちになった。初めてY君を秘密のベンチに連れ出した時、泣きながら自分自身で抱え込んでいる悩み事を俺に吐いた。すべて病気になったからやと決めつけてるY君に俺は、あえてぶっきらぼうに言った。「まずお前が病気をやっつけて身体を強くしてからやな」と。

 とはいえ俺みたいなさまざまな合併症に苦しまなかったY君の方が退院は早かった。それから3カ月ぐらいにY君から「約束守れなくてごめんなさい。哲也さんみたいなヤンチャな大人になりたかったです。Y」と打ったメールが届いた。俺の頭の中は◆#▽★◎※▲になったが、下にスクロールして謎は解けた。【○月○日にYは天国に旅立ちました。姉】。

 このメールの返信はお姉さんにしたけど今思うと俺らしくなかった。今度お前に打つわな。もちろんバカ話と下ネタで…。

 ◆齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの58歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で活躍も40歳で悪性リンパ腫により、03年7月やむなく引退(優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!! 兵庫県、S阪神のアドバイザーとしても活躍。現在もガン闘病中のカリスマ的患者。

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