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憧れあり!!爆笑あり!!俺も目指した“甲子園”

[ 2014年6月1日 05:30 ]

 去年の初秋からやることが一つ増え俺の生活は超ハードな日々。常に時間に追っかけ回されてる感覚で気がつけばあの厳しかった冬は過ぎ去り、プロ野球も、もう交流戦ですわ。その前にセンバツ高校野球てどこ優勝したっけ?テレビ見られなくなった俺の情報源はスポニチのみってことでゴマすっとこっと。

 俺と野球…。歴代の競輪選手の中で、ペダル踏む前に憧れの甲子園の土を踏んでる選手は俺が知る限りざっと30人強。ちゅうことは倍はおるで。

 断トツのヒーローは宮内英雄(千葉41期:引退)。銚子商業の主将で選手宣誓をし、オマケに深紅の優勝旗もゲットしてます。

 知ってます?俺も市立西宮高校のエースの4番で甲子園に出場した話って。ところがいきなり負け。俺ら、ベンチ前の土を取る恒例のワンシーン演じてました。そしたらなぜか審判が情けない顔しながら歩み寄りこう言った『はぁ…君たち…コレ予選やし…』(笑い)。市西は夏の甲子園には毎年100%出場してる。有り得へん?答えは女子生徒のプラカード持ち。

 審判と相手チームに白い目で見られながら土を取ってた俺に『そうや…』と秘策がわいていた。

 後日、母校では女子プラカード持ちの最終選考会を体育館でやっていた。

 『チョイとお待ち!どうかウチを甲子園に~』。館内は大爆笑ですわ。先生までもが『もうええって齊藤クン』と吹きだしてたっけ。突如乱入した俺のいで立ちは、オカンのかつら、ド派手な化粧、胸にあんパン仕込んだセーラー服姿。ひとつの青春が終わった瞬間で(どこがやねん!?)その後俺は感慨深げに選考会を見守った(笑い)。

 笑ってナイスなツッコミ入れてくれた川田先生は今年亡くなった。待っときや~そのうちまた笑かしに乱入するで~。

 師匠の坂東利則氏は市西野球部の直系の先輩。わが母校は後にも先にも師匠の時代だけが本チャンの甲子園へは3回出場している。なんとうらやますぃぃ。

 野球部2つ下の後輩は徳山学。川西明峰を甲子園初出場へ導いた実績引っかけ市西の監督となった。『母校で甲子園!』この夢こそがアドレナリンの根底。夢はかなわなかったが現在は県立尼崎小田高で甲子園を目指している。野球は人生の縮図と言い切り、野球通じての人間力の構築もまたポリシー。座右の銘は『念ずれば花開く』。その人間性は尼小田野球部HPで垣間見れるよ。にしても俺の『念ずれば股開く』とはえらい違いだわ(笑い)。徳ちゃんはスポニチ人気コラム【追球】の内田雅也編集委員とは飲み友。今度ぜひ俺も誘ってやぁ~。

 ◇齊藤 哲也(さいとう・てつや)1959年(昭34)4月生まれの55歳。元競輪選手(兵庫支部)。45期生の卒業チャンピオンとして80年にデビュー。S級で長く活躍し、03年7月引退(通算183勝、優勝25回)。本紙予想コラムでは高配的中数知れず。アナ車券の達人!!

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