あき竹城さん死去 飾らない山形弁で愛され…「楢山節考」で名脇役 ヌードもこなす硬軟自在の演技

[ 2022年12月21日 04:55 ]

15日に死去していたことが分かったあき竹城さん
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 映画「楢山節考」やドラマ「野々村病院物語」などで知られる女優のあき竹城(あき・たけじょう、本名竹田明子=たけだ・あきこ)さんが15日、大腸がんのため都内の病院で死去した。75歳。山形県出身。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。ヌードも辞さない体を張った演技で名脇役として鳴らし、山形弁の軽妙なトークでバラエティー番組でも活躍。2年ほど前から大腸がんで闘病していた。

 大腸がんが見つかったのは、レギュラー出演していたTBS「炎の体育会TV」を2020年9月に卒業したのと同じ頃。関係者によると「私がコロナにかかったら番組に迷惑をかけるから卒業させてください」と申し出があったという。最後もコロナ禍を理由に電話出演。その約半年前にも司会を務めていた日本テレビ「秘密のケンミンSHOW極」も降板していた。

 以降テレビ出演などがなくなり、所属事務所によれば「元気なあき竹城でごあいさつ」したいとの思いで病気を伏せ治療を続けていた。今秋に病状が悪化。帰らぬ人となった。

 山形県米沢市で生まれた。6人きょうだいの末っ子。中学でモダンダンスを始め、高校もダンス部に所属していたが、大阪のキャバレーでフロアダンサーをしていた姉を頼って中退して大阪へ。そこで初舞台を踏み、全国各地で踊った。

 74年には日劇ミュージックホールに進出。そこで披露した山形弁が受けて注目され、76年、山城新伍さんが司会の東京12チャンネル(現テレビ東京)「独占!男の時間」でテレビに初出演した。

 同年から映画も出演。「ピラニア軍団・ダボシャツの天」「トラック野郎・度胸一番星」などに助演。83年、カンヌ映画祭のパルムドール(最高賞)を受賞した今村昌平監督の「楢山節考」では緒形拳さんの後妻役で女優として地位を確立した。78年「喜劇役者たち 九八とゲイブル」のストリッパー役など、当初はヌードを求められる役が多かったが、その後はTBS「野々村病院物語」、2000年のNHK朝のテレビ小説「私の青空」などコミカルからシリアスな役まで演じる硬軟自在の名バイプレーヤーとして数多くの映画、ドラマを支えた。

 プライベートでは恋多き女で知られ、80年代に元ボクサーでコメディアンのたこ八郎さんとの熱愛が話題になった。毒舌で知られる料理人の結城貢さんと“結婚宣言”したこともあったが、ゴールインはならなかった。89年には8歳下の会社員と結婚。ただ、関係者によると「これより前に2年ほど結婚していたこともある」という。

 90年代後半からは山形弁の飾らないトークでバラエティー番組でも引っ張りだこ。あけすけな物言いでお茶の間にも親しまれた。「炎の体育会TV」開始当初からのスタッフでプロデューサーの北山孝氏は「あきさんと同世代の女性視聴者も多く、知らない競技を一緒に楽しく見てもらえる存在になればと出ていただいた。瞬時に打ち解けられる人柄なので、海外のアスリートからも気に入られ本当にありがたかった」と感謝。「闘病していることも知らなかったので寂しい」としのんだ。

 ≪74年初舞台≫
 あき 竹城(あき・たけじょう、本名竹田明子=たけだ・あきこ)1947年(昭22)4月4日生まれ、山形県米沢市出身。フロアダンサーなど下積みを経て、74年に日劇ミュージックホールで初舞台を踏む。83年公開の映画「楢山節考」のほか、連続テレビ小説「青春家族」「どんど晴れ」、大河ドラマ「徳川家康」「八代将軍吉宗」、「天地人」などに出演。バラエティー番組でも活躍した。

 ▽大腸がん 結腸や直腸にがんができ、日本人全体では最も罹患(りかん)者数が多いがん。女性では乳がんについで2番目の件数となる。国立がんセンターの統計によると、2019年には男性約8万7000人、女性約6万7000人が診断されている。発生は生活習慣と関わりが高いとされ、赤身肉や加工品の摂取、飲酒、喫煙などがリスクとなる。高齢化と食生活の欧米化で年々増加している。ステージ1の5年生存率は約90%。肺転移や肝転移の傾向が多く、ステージ4では約20%まで下がる。 

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