大森一樹さん死去 70歳映画監督 多彩な作品生んだ“職人” 医大生時代監督に 戦後最年少25歳

[ 2022年11月16日 04:55 ]

80年、「ヒポクラテスたち」で映画初出演の伊藤蘭と笑顔を見せる大森一樹監督
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 「ヒポクラテスたち」「ゴジラVSビオランテ」などで知られる映画監督の大森一樹(おおもり・かずき)さんが12日午前11時28分、急性骨髄性白血病のため兵庫医科大学病院で死去した。70歳だった。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻聖子(せいこ)さん。後日「お別れの会」を開く。青春映画から特撮、文芸作品、アニメーションまで多彩な作品を世に送り出した職人監督の突然の訃報に、芸能界からも悲しみの声が広がった。

 大森監督は昨年10月ごろから体調不良を訴え、間もなく白血病と診断され入院。今年4月に退院し、周囲によると「親しい知人らと食事や酒を楽しむまでに回復していた」というが、その後も入退院を繰り返し、8月に臍帯血(さいたいけつ)の移植手術を受けた。当初は今月9日に退院予定だったが、回復は思うように進まなかった。小康状態が続き、最期は妻と2人の子供らにみとられて静かに息を引き取った。

 今月5日には母校の京都府立医科大学の創立150周年記念の同窓会に出席する意向だったがかなわず。その記念事業で、稲垣浩監督の1960年「ふんどし医者」をモチーフにした映画を監督する予定で、脚本も完成させていた。今月20日には、宝塚市の第23回宝塚映画祭で87年「『さよなら』の女たち」が70歳記念として上映され舞台あいさつする予定だったが、追悼上映となってしまった。

 高校時代から8ミリカメラで映画を撮り始め、大学時代に撮った自主映画「暗くなるまで待てない!」が高く評価された。78年、「城戸賞」受賞の脚本を自ら監督した「オレンジロード急行」でデビュー。当時は現役の医大生で、戦後最年少での監督デビューとしても話題を集めた。

 漫画家で医学博士でもあった手塚治虫の影響を受け、医師免許を取得しながら映画の道へ入った。80年、自身の学生時代の体験を基にした青春群像劇「ヒポクラテスたち」が絶賛され、各映画賞を受賞。その後は、「すかんぴんウォーク」など吉川晃司主演3部作、「恋する女たち」など斉藤由貴主演3部作、6人組だった当時のSMAP主演の「シュート!」、「ゴジラVSビオランテ」などで平成ゴジラシリーズの流れをつくるなど多くの話題作を手掛けた。

 撮影現場では常に穏やかで、雰囲気づくりを大切にしていたという。タッグを組んだことのある映画プロデューサーは、「現場でトラブルがあっても、その状況の中で臨機応変に切り替えて撮り切ることができるインテリジェンスがあって、プロ意識は凄かった」と述懐した。

 95年の阪神大震災で芦屋の自宅マンションも被災。復興事業として「明るくなるまでこの恋を」を自主製作した。東京に事務所はあったが、4歳で引っ越した芦屋に拠点を構え続けた。大阪芸術大学芸術学部映像学科学科長を務め後進の指導にも当たっていた。

 ≪「青年監督の火付け役」≫

 大森 一樹(おおもり・かずき)1952年(昭27)3月3日生まれ、大阪市出身。中学3年の夏休みに映画「007は二度死ぬ」の現場を間近で見学したことで映画の世界に興味を持つ。高校在学中に「革命狂時代」で映画を初めて製作。京都府立医科大在学中の25歳で最年少監督デビューした際には「青年監督の火付け役」として話題となった。

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