「鎌倉殿の13人」名刀・梶原景時の散り際 中村獅童が込めた覚悟“あの名台詞”が「すべてだと思います」

[ 2022年7月30日 13:50 ]

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第28話。比企館。梶原景時(中村獅童・左)と北条義時(小栗旬)の別れ(C)NHK
Photo By 提供写真

 俳優の小栗旬(39)が主演を務めるNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(日曜後8・00)は24日、第28話が放送され、歌舞伎俳優の中村獅童(49)がクールに存在感を示してきた侍所別当・梶原景時の“最期”が描かれた。御家人66人が連判状に署名し、景時が追放された「梶原景時の変」。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝亡き後、権力闘争から勃発した最初の事件となった。

 <※以下、ネタバレ有>

 第28話は「名刀の主」。北条時政(坂東彌十郎)と比企能員(佐藤二朗)との争いにより、訴訟の取次を行う宿老は、北条義時(小栗)と梶原景時(獅童)の“5人衆”構想から大きく逸脱。“13人衆”にまで膨れ上がった。2代鎌倉殿となって気負う源頼家(金子大地)は、これを自身の力を侮っている結果だと捉えて憤慨。北条時連(のちの時房、瀬戸康史)・頼時(のちの泰時、坂口健太郎)ら“若手6人衆”を側に置き、牽制する。そんな中、13人の宿老たちが集まり、常陸の御家人の土地争いについて評議を行う…という展開。

 景時は「66人の連判状」により罷免、謹慎となった。

 心配した義時が、相模に下向した景時を訪ねる。景時は「それがしの過ちは、己を過信したこと。鎌倉殿と御家人たち、どちらも意のままに操れると思い込み、どちらからも疎まれた」。しかし「捨てる神あれば拾う神あり」。義時が目にしたのは、後鳥羽上皇(尾上松也)からの上洛を促す文だった。

 景時「鎌倉にいても先は見えた」

 義時「いてもらわれば困ります」

 景時「それがしはもはや」

 義時「行ってはなりませぬ!」

 義時の慰留に、景時が涙ぐんだ。

 そして、義村が朝光の裏で糸を引いていた。「しばらく姿を隠せ。すべては、こちらの思い通りに進んだ。例のこと、くれぐれも他言は無用で頼む。実衣殿に相談を持ち掛けたのは、あくまでお主の一存。(そんなに梶原殿が憎いですか?)別に。ただ、あいつにいられると何かと、話が進まないんでね」。義村の暗躍も始まった。

 景時が後鳥羽上皇から誘われたことを知った頼家は、景時を詮議。「忠臣は二君に仕えず。おまえは自分が忠臣でないことを認めたわけだ」。奥州外ヶ浜への流罪を言い渡した。

 正治2年(1200年)正月。景時は竹を斬り、心を決めた。

 景時は、頼家と側室・せつ(山谷花純)の息子・一幡を京に着くまでの人質に取った。義時と頼時は比企館に急行した。

 景時が後鳥羽上皇から誘われたことを頼家に流したのは義時だった。

 義時「(景時が京に)行けば、鎌倉殿は決してあなたを許さない。必ず討ち取ろうとされる。それは、朝廷との争いの火種となる。鎌倉を守るのが、私の役目」

 景時「ひけらかすものではないな」

 義時「誰にも見せず、破り捨てるべきでした」

 景時「刀は、斬り手によって、名刀にもなまくらにもなる。なまくらで終わりたくはなかった」

 息子・梶原景季(柾木玲弥)が一幡をせつの元へ。

 景時「これより、流罪先の外ヶ浜へ参る。小四郎殿、そなたは上総広常の前で、こう申した。我らは坂東武者のために立ち上がったのだと。源氏は飾りに過ぎぬと。忘れてはおらぬな」

 義時「(頷く)」

 景時「己の道を突き進め。置き土産じゃ。これへ。(善児を)おぬしに譲る。(景季に)参ろう」

 景時は笑みを浮かべ、一行と比企館を後にした。義時は頼時に「すぐに兵を整えよ。梶原殿は必ず西に向かわれる。東海道で討ち取る。分からぬのか。梶原殿は華々しく戦で死ぬおつもり。武士らしくな。急げ」。夜、気付けば雪が舞っていた。

 番組公式ツイッターに公開された獅童の「かまコメ(撮影直前・直後の音声コメント)」(1分29秒)は以下の通り。

 ▼鎌倉を去る梶原景時の思い「物語を通して、この梶原景時というのは腹の底で思っているという、喜怒哀楽というものはあまり表情に出さず、そして、あまり大きい声で怒るという(ことはない)。唯一、感情を取り乱したというのは、上総介を殺すところですよね。鎌倉を去る時というのは、非常にそれなりの思いがありますよね。『なまくらで終わりたくはなかった』という台詞のように、あれがすべてだと思いますよね。去っていく、ある種の覚悟ですよね。色々な感情が芽生えていると思いますね。やっぱり寂しくもあり、ある種の怒りもあり。まぁ、割りかし(景時は)悟っている方なので、去っていく時も色々な思いは胸の内に秘めて、腹の底に隠して、去っていくというようなことですかね。やっぱり義時に託すんでしょうね。『鎌倉幕府、頼んだぞ』という。まぁ本当にみんなにもなかなか嫌われて…うかつなところもあったかもしれないですね、景時って。でも、それもすべて自分で分かっているんだと思いますよ。死を覚悟するということですかね。そういう思いでやらせていただきました」

続きを表示

この記事のフォト

2022年7月30日のニュース