RIKACO 7年前に急逝した母の“終活”を涙で明かす 墓は「家族誰でも入れるように」…

[ 2022年7月21日 16:39 ]

タレントのRIKACO
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 モデルでタレントのRIKACO(56)が21日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。2015年に他界した母の“終活”について語った。

 RIKACOは1993年に俳優・渡部篤郎と結婚し、同年に長男を、98年に次男を出産したが、2005年に離婚。その後、子育てを手伝ってくれた母は7年前に78歳で他界したが、「若かったですよね、今考えると。まだまだこれから元気で生きてもらいたかったです」と語った。

 母は自宅のトイレで亡くなっていたという。「私が仕事に行ってる時に戻って来たら亡くなってたんですよね。急性心不全ということで」とRIKACO。その日は早朝からロケがあったため、声もかけずに家を出ており、「それが心残りですけど」と話した。発見した際は、「びっくりなんてもんじゃないです」と最初は亡くなっていることも分からず気が動転したと言うが、当時高校1年生だった次男が「凄い仕切り方をしましたね」と回顧。「人工呼吸とか学校で教わったこととか全部試したり、救急車もすぐに呼ぶようにって言われて。いろんなことを私が動転している中次男が全部誘導してくれて。“救急車は119”とか、“それやって”とか“これやって”って感じで凄かったですね。結果救急隊員の方たちが来られた時には“もう亡くなってます”ってことになって…」と続けた。

 「つらいっていうか、あんなことって起きるんだなって。ショック通り越しましたね」。母は生前、亡くなる10年ほど前に遺言書をRIKACOと相談の上作成し、預けていたとし「突然亡くなったことはショックでしたけど、死んだ後のことは迷いがなく、指示通りにできたというか、残してくれた遺書通りにできたので助かりました」と明かした。

 両親はRIKACOが16歳の時に離婚。RIKACOの離婚後は、再び仲良く孫の面倒を見るなどしていたというが、母は墓も遺言書と同時期に自分で用意。実家ではなく、「おうちから15分ぐらいの近い所がいい」とRIKACOと下見をして買っていたとした。RIKACOは「私が今56で、10年後にそんなことができるかって言うと、ちょっとそこまで考えが及ばないんですけど」と尊敬の念を口にした。

 一方の父は、母の死去から2年後に他界。認知症もあり介護をしていたため、母の時とは違って事前に心の準備をすることができたが、死後の準備は何一つしていなかったと話す。墓についても父の実家の墓にはスペースがなく「どうしようかっていうことを凄い悩みました。新しくお墓を買うのか悩んでいる時に、ふと、母のお墓にもしかしたら入れるんじゃないかって思ったんですね」とRIKACO。その寺の住職に話を聞きに行ったところ、「お母さまがこのお墓を買う時に、墓石に自分の名字を入れないでくれと。このお墓は家族誰でも入れるようにしたいと。娘とか、孫とか分からないけど、入れる限り身内を受け入れてほしいということを言ってくれた」と明かされたとした。

 「その話を聞いたときに、今でも涙がするんですけど、ほんとにできた女だなって。自分が別れたね、一時期は凄い恨んだと思うんですよ、離婚とかいろんな問題があって、一緒にいたかったって思いもあったと思うし。そうなのにも関わらず、最期ね、みんなを受け入れようと思った気持ちがもう本当に凄いなって」と目に涙をにじませた。「あっ、これはもう最期2人を一緒にしないといけないって思ったんです。それで母のお墓に父を入れようと思って、“最後はママのもとに帰って来たね、良かったね”って言って」としみじみと話した。

 良かったかと問われると、「おそらく私はそう思います」と明言、自身も「ここに帰って来れるんだな」と思うようになったとした。「本当に素晴らしい母だなって改めて思います」と語った。

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2022年7月21日のニュース