引退表明の阪神・桑原、プロに「しがみついて」14年間 金本前監督がホレ込んだ“まっスラ”で花開く

[ 2021年9月21日 05:30 ]

引退会見を終え、岩崎(左)から花束を受け取った桑原
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 阪神の桑原謙太朗投手(35)が20日、西宮市内で会見を開き、今季限りの現役引退を表明した。07年大学生・社会人ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)に入団後、オリックスを経て14年オフにトレードで阪神入り。17年には自己最多67試合に登板し最優秀中継ぎ投手賞に輝いた。引退後は未定。24日からのウエスタン・リーグ、オリックス3連戦(甲子園)で最終登板する見込みで14年間のプロ生活に終止符を打つ。

 「自分から見た桑原はどんな投手?」と問われた桑原は、照れ笑いを浮かべた。

 「不器用ながら何とかプロ野球にしがみついてきた、というイメージですね」

 派手さはなく、地道にキャリアを積み重ねてきた。遅咲きの右腕に日が差したのが10年目の17年。当時の金本監督に中継ぎとして抜てきされ、150キロで自然にスライド回転する伝家の宝刀“まっスラ”と、カットボール、スライダーという同系統のボールだけで、打者を牛耳った。67試合で4勝39ホールド、防御率1・51で最優秀中継ぎ投手賞を受賞。翌18年も62試合に登板し「勝利の方程式」の一角を担った。

 「それまで鳴かず飛ばずでやってきて、金本監督に抜てきしていただいて。その意気に応えられたかは分からないですけど、自分の中では精いっぱいやったというのがあの年。(まっスラは)唯一無二ではないですけど、特殊球という形で14年間できたので、自分に感謝しています」

 一方で2年連続60試合登板したフル回転の代償は大きく、以降は肘、肩の痛みに悩まされた。今年8月28日の2軍練習試合、四国・徳島戦で1回3失点。「ほとんどまともに投げられなかった。もう、そこでダメだなと思って決断しました」。我慢強さを武器にやってきた右腕も、ついに引き際を悟った。

 「自分の中では、やり切ったというのが一番。最後までちゃんと投げきりたかったのはあるんで、そこが悔いが残っているところ」

 球団から打診された引退試合は「9月30日までユニホームを着て練習したい」という理由で固辞。甲子園で予定される24日からのウエスタン・リーグ、オリックス3連戦で、最後の力を振り絞って勇姿を見せる予定だ。

 会見後には後輩の岩崎からサプライズで花束を手渡された。プロ生活の大半を下積みとケガとの戦いで過ごした苦労人。それだけに、17、18年に放った輝きはとびきりにまばゆかった。監督に信頼され、仲間やファンに愛された好投手がまた一人、猛虎を去る。(山添 晴治)

 ◇桑原 謙太朗(くわはら・けんたろう)1985年(昭60)10月29日生まれ、三重県出身の35歳。津田学園から奈良産大を経て、07年大学生・社会人ドラフト3巡目で横浜(現DeNA)入団。いずれもトレード移籍で11年からオリックス、15年から阪神でプレー。救援で自己最多の67試合に登板した17年に最優秀中継ぎのタイトルを獲得。1メートル84、86キロ。右投げ右打ち。

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