野球界に衝撃、中畑清氏も「ありえない」…史上唯一、巨人ドラ1を蹴った男が追いかけた夢とは

[ 2019年6月23日 21:10 ]

愛知学院大の監督を務め、胴上げされる小林秀一氏
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 TBSのドキュメントバラエティー「消えた天才」(日曜後8・00)が23日に放送され、プロ野球のドラフト史上唯一、巨人の1位指名を拒否した男が、名誉と高額な契約金を蹴った衝撃の理由を明かした。

 その男性とは、小林秀一さん(68)。現在の秀岳館である八代第一で投手を務め、愛知学院大に進学。4年時にエースとしてリーグ通算43試合に登板し、防御率0.93という驚異の成績を残し即戦力投手として評価を得て、73年のドラフト会議で巨人から1位指名を受けた。

 だがこの“最高の栄誉”を、小林さんは断固拒否。その理由を「学生野球の指導者になることが夢」だったからだと明かした。

 75年ドラフト3位で巨人に入団した中畑清氏(65)は「常識ではありえない。とにかく野球界は巨人中心に回っていたという、そういう時代だよね。みんなが憧れるチーム。ドラフト1位は名誉中の名誉。断るなんて…。何してんだお前!って。ありえない!許せない!ハハハ」と振り返る。駒沢大学時代に何度も対戦し、アンダースローから投げ込まれ打者の懐をえぐる変化球を「魔球」と称し、周囲も巨人入りを望んでいた。

 現在は、プロ経験者がアマの監督になる道ができたが、当時はそれは不可能だった。そのため小林さんは、ドラフト前にも3球団から指名したいと言われていたが、事前に断りを入れていたほど夢にこだわりを持っていた。しかし、同郷出身で不滅のV9を果たした川上哲治氏が監督を務める巨人からの1位指名。自身も幼い頃から巨人ファンで、人気、実力ともに人気球団からの指名に周囲も猛プッシュ。スカウトが連日大学まで足を運び、実家の熊本にまで説得に来たほどだった。

 それでも夢にこだわった理由は、高校時代の恩師との出会い。高校当時はオーバースローの投手だったが、コントロールが定まらない“ノーコンピッチャー”で「野球に向いていない」と思っていたという。そんな時、八代第一時代の監督・木村健一氏に「一回、下から投げてみたら」と助言され、アンダースローに転向。才能を開花させ、甲子園にも出られなかった無名の投手が巨人から1位指名されるまでに成長した。

 小林さんは「監督は常に見ているんだなと。“お前の将来を考えれば今フォームを変えたほうがいい”と、きっかけをつくっていただいたのは木村さん」と振り返る。この日から野球人生は一変し「指導が大事だとわかりました。木村監督からの指導は自分の宝」と話し、自分もその道を目指すことを貫いた。

 大学卒業後は社会人野球を経て、母校・愛知学院大の監督に就任。夢をかなえただけでなく、実績のない選手を指導の力で育てあげ、就任8年目の91年、神宮大会を制し母校を初の日本一に導いた。

 さらに、益田明典(巨人)、松本卓也(ダイエー)らプロ野球選手も輩出。巨人を蹴ったことについては「後悔はしてません。自分で選んだ道だったので、自分としてはこれがベストだったかなと」と話し、「まだ人生は終わってないですけど、最後に良かったと言えるように、これからも頑張りたい」と前を向く。小林さんは現在、野球部の指導を教え子に託しスポーツ科学の准教授を務めている。野球界を揺るがした男は、野球界の後進育成のため今後も挑戦を続ける。

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