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母に学んだ“操船術” 家族一丸 マダイ老舗支える“陰の船長”

[ 2018年1月26日 07:24 ]

船の清掃を終えた3人と事務所前で。(左から)勇一さん、長男・大揮さん、次男・裕喜さん、知子さん                               
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 【釣り宿おかみ賛】マダイ釣りの老舗、神奈川県剣崎・大松丸。2代目女将の鈴木知子さん(52)は釣り宿と家族を陰で舵(かじ)取りする“第二の船長”だ。その“操船術”の手本となったのは幼少期から見てきた母の姿だった。(入江 千恵子)

 東京湾を挟んで対岸に房総半島が望める三浦半島。海岸線から内陸部へ入ると、一面に大根畑が広がる。あちこちの畑では収穫の真っ最中だった。

 ほどなくして事務所前のバス停に到着すると、建物の中から「ありがとうございます」と深々とお辞儀をしながら知子さんが出てきてくれた。

 1965年(昭40)2月、神奈川県三浦市で酒店の長女として生まれた。両親と弟、妹、祖父母、叔母の8人暮らしで、家族の中心は市議会議員をしていた祖父だった。朝に一日の予定を立てるのが日課で、それを基に母・春枝さん(79)は来客や店の対応をし、さらに家事もこなす“家族のまとめ役”を担っていた。

 その姿はまるで「影武者のようでしたね」。絶えず人が出入りするにぎやかな家で、夕飯時は来客と一緒に食卓を囲むのが日常だった。

 高校卒業後は横浜女子短期大学(横浜市)に進学し、子供が好きなので保育科で勉学とピアノの練習に励んだ。三浦市内の保育園に就職し、最初は3歳児を担当。教科書と現場は違う毎日だったが、行事ごとに成長する子供たちの姿を見るのがうれしかった。

 23〜24歳の頃、縁談話が舞い込む。相手は、叔母・すえ子さん(81)と大松丸創業者の茂さん(84)夫妻の長男で、いとこの勇一さん(54)だった。

 子供の頃は会う機会が少なく「おとなしい人だなって印象くらいで。20歳すぎてからは釣れた魚を届けに来てくれたのを覚えてます」。食事デートを重ね、話をするうちに勇一さんの穏やかさに心がひかれた。子供の頃は気付かなかった運命の赤い糸が手繰り寄せられていった。

 茂さんの熱心な売り込みもあり?、25歳で結婚。女将として新たな生活が始まった。お客さんでにぎわう釣り宿は、どこか幼少期の家の雰囲気にも似ていた。そのせいか、女将の仕事にも自然と入っていくことができた。

 茂さんが70年(昭45)に漁師から転身した釣り宿は、全てが一からのスタートだった。

 「浜松町にあったスポニチに魚を持って“(釣宿連合会に)入れてくれ”って頼みに行ったって聞いたことがあります」

 知子さんは27歳の時に長女・真理子さん(25)を出産。続けて長男・大揮さん(22)、次男・裕喜(ひろき)さん(21)が誕生する。子供の休みと船が忙しい土・日曜日が重なり、時間のやりくりに頭を悩ませることもあったが、家族で協力して乗り越えてきた。

 かつて、母・春枝さんが家族をまとめていたように、いつしか知子さんも家族や先代が築き上げてきた釣り宿を陰で支える存在になっていた。

 大揮さんと裕喜さんは、国立清水海上技術短期大学校(静岡市)を卒業し、現在は勇一さんと勇一さんの弟・茂明さん(52)とともに舵を握る。今春、新しい船が完成予定で「今はその話ばかり。よっぽどうれしいみたい」。

 今後は「お客さんに遠慮なくこき使ってもらって、育ててもらえるようお願いしたいです」。これからも知子さんの“操船”は続く。

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