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アカイカも紡いだ 運命の赤い糸 亡き父の面影感じる4代目漁師に嫁入り

[ 2017年12月20日 07:42 ]

「今日の給食はコロッケだったよ」と話す次男・伊吹君(左)と伊東市の空手大会で優勝した長男・唯人君(右)、それを優しく見守る(後列左から)貢一さんと秀美さん                         
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 【釣り宿おかみ賛】ブリやアカイカなど季節の釣り物が楽しめる静岡県宇佐美・清貢丸。女将の稲本秀美さん(50)はかつて、トップセールスウーマンを経て、自ら会社を立ち上げた経験もある仕事人だ。釣りとの出合いと、当主で夫の貢一さん(58)との結婚には父・幸雄さんの存在があった。(入江 千恵子)

?04会社の社長をしていた秀美さんは営業を終えて事務所に戻る途中、名義が変更になったアパートがあるのを思い出した。

 「オーナーが代わるとリフォームする人が多いから」。思いがけず立ち寄った貢一さんの自宅。この時はまだ、1年後にお嫁にくるとは夢にも思わなかった。

 1967年(昭42)10月、静岡県沼津市で2人姉妹の次女として生まれた。設備会社を経営する父と経理担当の母、祖父母の6人家族で「父と建物の状況を見ながらドライブするのが楽しみでしたね」と目を細めた。

 釣りを教えてくれたのも父で「小学1年の頃、磯のカサゴ釣りから」。のちに父がクルーザーを購入。船上で一緒にマダイやタチウオを釣り、沖釣りの楽しさを知った。

 高校卒業後は東京の専門学校で家具のデザインや色彩を学び、代官山にあるデザイン会社に就職。おしゃれの発信地で活躍することを夢見ていたが、やる仕事は荷物持ちや交流会の料理を作ること。「作品は作らせてもらえなかったですね」

 27歳で沼津へ戻り、リフォーム会社の営業職に転職。だが翌年、父の幸雄さんが心筋梗塞で他界。54歳だった。

 突然の別れに大きなショックを受けたが、その分、仕事に打ち込んだ。女性の視点とコミュニケーション力を生かし、成績はトップに。引き抜かれた会社でも実績を重ね、31歳で独立。従業員7人を抱えるまでになった。

 そして、35歳の春。築十数年のアパートを購入して間もない貢一さんの家を訪ねた。秀美さんは「女性が住みたくなるような」リフォームを提案。「奥さんが“ここに住みたい”って言ったら旦那さんも賛成してくれると思って」

 その仕事ぶりを貢一さんは「芯がしっかりしているし、話もうまい。港町に合うなと思った」。すでにお嫁さん候補になっていた。

 貢一さんは、明治時代から続く漁師の4代目。釣り船は初島沖のヤリイカが遊漁船にも解禁なった1989年(平元)に始めていた。

 秀美さんは時間を見つけて釣りをしていた。車の後部にはたくさんの道具。それを見た貢一さんから「今度、うちの船に乗ったらいいよ」と誘われ、翌月、アカイカ釣りに参加。貢一さんが操縦する船で大漁の釣果だった。

 「船や釣りが好きなところとか雰囲気が父に似ているんですよ。父が結び付けた縁なのかなと思いましたね」と夫に亡き父の面影を重ねる。

 翌年の夏、結婚。やがて長男・唯人(ゆいと)君(12)を妊娠したあとも8カ月まで釣り船に乗り「近所の人には心配かけたけど、船の揺れが心地良くて」と笑う。無事に出産し、2年後に伊吹(いぶき)君(10)が誕生した。

 現在は貢一さんの母・美和子さん(82)と5人暮らしだ。

 最後に女将としての思いを聞くと「もっと女性にも船に乗ってもらいたいですね。釣りをしない同伴の方は定員に余裕があれば無料で乗船できます。ぜひ、奥さんや彼女も遊びに来てください」。

 女将の顔が一瞬、敏腕セールスウーマンの顔に変わった。

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