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老舗支える献身 洋裁好き専業主婦から転身

[ 2017年10月26日 07:17 ]

店前の船着き場で。左から貝森秀一さん、美加さん、光男さん、瑛子さん。                               
Photo By スポニチ

 【釣り宿おかみ賛】一年を通してかかり釣りのクロダイ釣りが楽しめる静岡県清水・山本釣船店。女将の山本瑛子さん(71)は創業80年の老舗釣り宿を、当主で夫の光男さん(71)と守り続けてきた。だが今日に至るまでには、店存続の危機と試練があった。(入江 千恵子)

 昭和から平成に変わった1989年(平元)。「あの頃、島倉千代子さんの“人生いろいろ”が流れててね。私も人生いろいろだなって思いましたよ」と、遠くを見つめた。洋裁が好きな専業主婦から女将への転身。その年、瑛子さんの新しい人生が始まった。

 1947年(昭22)5月、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で生まれた。父は市立病院の勤務医で「兄や弟には厳しかったけど私には優しかったな」と当時を振り返る。

 専業主婦の母と祖母、伯母の7人家族で「今と違って内気だったのよ」と笑みがこぼれた。

 女子高を卒業後、京都市内の池坊学園短期大学(現・池坊短期大学)に進学。必修の生け花とお茶をはじめ、着付けや染め物など和の作法を学んだ。

 2年後、地元に戻り洋裁学校に通い始めた頃、同級生を介してサラリーマンだった光男さんと出会う。お互いにひかれ合い、家族公認の交際へと発展。だが、光男さんは「実は(瑛子さんに)結婚するか聞かれて…別れの手紙を送ったんですよ。でも、おばあちゃん(義母)から電話で“好きじゃないの?”と聞かれて」。

 この時、改めて瑛子さんの大切さに気付いた。「そんなことがあったの!?」と瑛子さんは目を丸くした。

 「あの電話がなかったら子供も生まれてないし、店も続いてなかったな」と光男さんは振り返る。 

 義母が背中を押してくれたおかげで、瑛子さん25歳の誕生日に結婚。2人の子供にも恵まれ、子育てに奮闘しながら幸せな時間が流れていった。

 そして42歳の時、瑛子さんの人生を変える出来事が起こる。光男さんの父で山本釣船店・創業者の憲一さんが、1937年(昭12)から始めた船長を引退することになった。光男さんの兄は跡を継がないことが決まり、店を閉める方向で進んでいた。そんな時、昔からのお客さんから「俺たちはこれからどこへ行ったらいいんだ」と閉店を惜しむ声が上がり、光男さんは脱サラをして店を継ぐことを決意する。

 「最初は“えー!?”って思いましたよ。それまで働いたことがないし、“サラリーマンで次男”と思って結婚したのに」と笑う。

 女将の仕事が始まると生活は一変した。

 夏場の起床は午前3時。睡眠時間は半分になった。当時、お客さんのほとんどが男性で「一生分の男性に会ったんじゃないかと思うほどでしたよ」。

 並行して家事をこなす日々。最初の3年は忙しさと環境の変化に「何をしていたか分からない」状態だった。「とにかく“慣れ”しかなかった」と振り返る。やがて子供たちの手が離れると余裕も生まれ、次第に女将の貫禄が備わっていった。

 今年7月には長女の美加さん(44)が本格的に若女将としてデビュー。「外で働いていたせいか、最初からお客さんと話すのもうまいのよね」と瑛子さんの評価も高い。

 すでに船長として活躍している夫の貝森秀一さん(56)と共に将来の山本釣船店を担う頼もしい存在だ。

 女将として平成の時代を駆け抜けてきた。「そろそろバトンタッチしたいかな。今までできなかった洋裁や2泊以上の旅行に行ってみたい」。

 瑛子さんの人生はこれからも続く。

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