×

【コラム】海外通信員

フォルランという人

[ 2014年2月28日 05:30 ]

練習中、ポポヴィッチ監督(右)と話し合うC大阪・フォルラン
Photo By スポニチ

 少し前の話題になってしまうが、ディエゴ・フォルランが、セレッソ大阪入団会見の時に日本語であいさつをしたという話を聞いて、私は「フォルランらしいな」と思った。自分が接する相手に対する気遣いとか思いやりとか、人との関係をとても大切にするフォルランだけに、新天地でその国の言葉であいさつをするのは当然だと思ったに違いない。

 あとでその会見の動画を見たら、なんと長いあいさつだったこと。自分で話したい言葉を日本語に訳してもらったら、思いのほか長文になってしまったが、どうしても全部話したくて一生懸命練習したらしい。あいさつの途中、スペイン語で「え~っと、それから」と呟くところがあり、申し訳ないのだが、何だかフォルランがとてもいじらしく思えて仕方がなかった。

 フォルランは、母国では「英雄」である。スター選手がサポーターから英雄扱いされることは珍しくないが、フォルランの場合、サッカーという枠を超越した国民的英雄なのだ。その存在は、1950年ワールドカップの決勝でブラジル相手に逆転勝利をおさめ、見事世界チャンピオンに輝いたウルグアイ代表選手たちに匹敵する。

 ウルグアイで、フォルランを嫌う人はいない。フォルランがウルグアイ人であることを、誰もが誇りに感じている。

 フォルランがMVPに輝いた2010年ワールドカップのあとでウルグアイの避暑地に出かけた際、街中のあちこちでフォルランを見つけた。「ようこそウルグアイへ」と書かれたポスターやプレートに、にっこりと微笑むフォルランの写真がプリントされているのだ。レストランの入り口でもフォルランの笑顔に出会い、「ウルグアイはフォルランの国」というイメージをここまで前面に出してくる姿勢には驚かされた。

 それほど偉大な英雄が、慣れない言語で一生懸命、ひとつひとつの言葉がはっきりわかるようにあいさつしている様子を見て、健気だと思わずにはいられなかった。間違えたら恥ずかしいとか、変な発音をしてしまったらカッコ悪いとか、そんなことはどうでも良くて、とにかく自分を受け入れてくれた日本という国に対して精いっぱいの敬意を見せようとするフォルランの姿勢には心を打たれた。いつだったか、ウルグアイ代表のタバレス監督が「彼は生まれながらのリーダー」と言っていたが、フォルランのこういうところが人の心をつかみ、自然に支持者が集まるリーダーに仕上げているのだろうと納得した。

 フォルランは、とても謙虚で真面目で心優しい人だ。そんな人はウルグアイにたくさんいるが、フォルランほど裕福な家庭に育ちながら、誰にでも気軽に話しかけ、仲間を気遣い、相手を敬う気持ちを持った人はそういるわけではない。いわゆる「お坊ちゃま」でありながら、壁を作らず、どんな人とも気さくに交流する人はウルグアイでも珍しい。

 以前、フォルランがアルゼンチンのインデペンディエンテに所属していた時のこと。フォトグラファーである私の夫が同クラブの練習風景を撮影していて、突然フォルランから話しかけられたことがあった。

 「どうしてこんなところでペニャロールのジャケットを着ているの?」

 夫はその時、ウルグアイの強豪ペニャロールのダウンジャケットを着ていた。ペニャロールのファンだから、と答えると、「ウルグアイ人なの?どこの出身?」とさらにいろいろ聞いてきた。

 「へえ、パンド(モンテビデオ郊外の町)で育ったの!じゃあカルロス・サンチェスとか知ってる?幼なじみなの?一緒にサッカーしてたって?信じられない!」

 インデペンディエンテほどの強豪でプレーする選手たちが、初めて見るフォトグラファーにここまで親しげに話しかけてくることはまずない。だがフォルランは、自分がプレーしていたペニャロールのチームカラーである黒と黄色のトレーニングジャケットを着ていた人物を無視できなかった。練習中であるにもかかわらず、ボールを追いかけてピッチ脇まで来た機会に話しかけてきたのだ。フォルランは、そういう人なのである。

 日本と日本人に対して、精いっぱいの敬意と感謝の気持ちを表したフォルラン。彼の人柄が、行く先々で人々の心をつかむことは間違いない。ウルグアイが誇る国民的英雄のセレッソでの活躍に期待している。(藤坂ガルシア千鶴=ブエノスアイレス通信員)

続きを表示

バックナンバー

もっと見る