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【コラム】海外通信員

ブラジルのジョガ・ボーラ(ボールで遊ぶ)スピリットは消えない!

[ 2025年3月30日 12:00 ]

 
Photo By スポニチ

 2011年から、この海外通信員コラムを書き始めて14年が経つ。振り返ってみて、月日の過ぎるのは何と早いことかと感じる。この14年はネイマールがスターダムに乗っていった期間とほぼ同じだ。

 私が初めて、ネイマールを取材したのは、2006年の2月5日だった。そう、ちょうど14歳の誕生日だった。FCサントスのあるサントス市のお隣のプライア・グランジ市に父親が建てたという素朴な家に住んでいる彼を訪ねたのは、日本の雑誌「フットボールライフ」の未来のスター候補を探す企画だった。薄い緑のような澄んだ瞳の痩せっぽちな子どもだった。

 ニコニコして、一緒にいたチームメートたちと、笑いながらボールを蹴ったり、おしゃべりをしていた。日本のお菓子を持って行ったら、喜んで食べてくれていた。当時はGPSなど便利なものは無く、住所を聞いても辿り着けないと心配した父ネイマール(父もネイマール)は、家から近くの大型スーパーで待ち合わせをした。バイクで現れた父ネイマールの誘導で家まで行った。

 父ネイマールは未来のプランを一生懸命話してくれた。当時、レアル・マドリッドからオファーをもらい、スペインを訪問して、サントスに残るか家族ごとスペインに移住するかを決めると言っていた。父ネイマールは、自分も元プロサッカー選手であまり成功しなかった経験を糧に、息子の才能をなんとか開花させたいと、マネージメントを慎重に練っていた。

 あの後、結局ネイマール一家はブラジルに残った。サントスが高額スポンサーを探して、ネイマールを引き止めることに成功して、最終的に2013年21歳までブラジルでプレーすることができた。あの頃、ブラジル経済は上向きで欧州に行かずとも欧州並みのサラリーをネイマールは得ることで、サントスに残って、2011年クラブに48年ぶりに南米チャンピオンズリーグであるリベルタドーレス杯優勝をもたらした。

 ブラジル、南米でやれることを全部やってから、ネイマールは欧州に旅立ったのだ。

 あれから14年。今、ブラジルサッカーを取り巻く環境は大きく変わった。金の卵、未来のスーパースター候補達は、ネイマールのように21歳までブラジルにいることは無くなった。16歳でプロ契約をしたら、早々に欧州のビッグクラブが手を伸ばし保有権を買ってしまう。ただし、18歳以上でないと外国でプレーができないため、育成されたクラブでプレーを続け、経験をつける。そして、18歳になったら、すぐに欧州に行ってしまう。

 ネイマールのように、大物候補でブラジルでやれるだけの経験を全部つけてから、外国に行けるケースはほぼなくなった。

 父ネイマールが言っていた言葉を思い出す。

 「ブラジルにいないとブラジルらしい選手になれない。欧州に若年で行ってしまうと、欧州の選手になってしまう」

 ネイマールは14歳でスペインに行かず、21歳までサントスでプレーしたことで、ブラジルっぽさを存分に持つ選手として完成して欧州に行った。

 話は現在に移るが、セレソンは、今、苦しんでいる。W杯5回優勝している世界唯一の国であり、1930年から全てのW杯に出場している唯一の国。唯一無二のサッカー王国のプライドが揺らいでいる。2026北米W杯で6勝3分5敗、4位という全くふるわない成績で4位に停滞中。2026W杯は南米枠が6のため、出られない心配はまだしていないが、3/26日のアルゼンチン戦では4-1で完敗。手も足も出なかった。

 この試合にネイマールは出なかったが、2010年にA代表デビューしたネイマールも今や33歳になった。2014ブラジルW杯、初めてネイマール中心のチームで戦ったが、あれから11年。未だにセレソンはネイマールを中心としている。

 ネイマールのようなブラジルらしい、ブラジルを象徴するような選手が減ってしまったのだろうか。ブラジルで選手として完成する前に欧州に出て行ってしまう若手選手たちが、ブラジルらしさを失っていくのだろうか。または、若くして大金を手にして、ブラジル国民との距離ができてしまうのか。

 現在では情報格差は減り、世界のサッカーは均衡するようになってきた。ブラジルの国内サッカーもさまざまな視点や選手や監督の多様化の波は間違いなく増えた。

 2025年1月、ニュースが飛び込んだ。グアラニFCが20歳の高橋隆大(りゅうた)選手をガンバ大阪から完全移籍で獲得したと(ブラジル全国リーグ3部)。

 ブラジルから日本へという大きな流れに少しだけ抵抗するように日本人選手がブラジルに来るとは、日本サッカーが、近年いかに成長したかの証である。グアラニFCの期待の大きさは、高橋選手のために特別なアプレゼンタソン(お披露目)を用意していることからもわかる。

 どこまでブラジルで日本人選手のクオリティの高さを見せてくれるかとても楽しみだ。高橋選手の存在がチームの起爆剤になって欲しい。

 日本人選手のレベルが上がっていることは、欧州のクラブでの活躍でもわかるが、日本で子ども達を見るとテクニックの高さに眼を奪われる。

 ブラジルに短期で経験を積みに来ている岐阜県飛騨市の17歳がいる。蒲生龍太朗くんは、あのバロンドール選手のカカーや、カゼミロ、ミリトンなどを指導したブラジルきっての選手発掘の目利き、育成監督と言われるシルバ監督(アントニオ・カルロス・ダ・シルバ)のヴィタウ・クラブのU17の練習参加し、試合に出たところ、シルバ監督からパスの精度の高さと視野の広さを褒められた。(シルバ監督は静岡学園のコーチを務めた後、清水エスパルスサテライトコーチ、横浜フリューゲルスの監督を務めたこともある)

 また、U17の監督も「非常にクレバーな選手だ。もし、もっと長くいるならぜひ起用したい」と言っていた。

 蒲生くんは「ブラジルの選手たちは判断のスピードが非常に早い」と違いを感じながらも「やれる」と自信を持った。

 10数年の月日で、日本がこれほどレベルを上げてくるとは、本当に嬉しい驚きだ。

 ヴィタルクラブの子ども達が「日本の選手は欧州で活躍しているね。伊東や三苫を知ってるよ」と言う。彼らの言葉には、かつての日本人のサッカー選手を揶揄する気配など微塵も無かった。それどころか、大きなリスペクトが飛び出していた。

 では、ブラジルのサッカー熱が下がったのだろうか。いや、そうではない。今夜も、外から大歓声が響いた。サンパウロ州選手権のファイナル、コリンチャンス対パルメイラスがやっていることは、テレビをつけなくてもわかった。そう、空気の中にサッカーが入り込んでいるのがブラジルなのだ。

 ヴィタルの子ども達が、時間を忘れてボールを追いかけている姿、笑顔、真剣な表情を見て、まだまだこの国はサッカー王国であり、ボールで遊ぶ素朴さを持ち合わせている国なのだと実感する。

 『ジョガ・ボーラ』、すなわちボールで遊ぶ。サッカーは学問ではなく、理論でも戦術論でもない。ただただボールを蹴ることが楽しくてたまらない。そんな子ども達の中から、きっと次の世代に繋げてくれるクラッキ(スーパースター)が生まれるに違いない。その希望は絶対に無くならない。

 「欧州のサッカーはテクニックのレベルも高いし、すばらしい。でも、ブラジルのサッカーには、”アレグリア(喜び)とジヴェルソン(遊び)”がさらにあるんだ」とU15の子が嬉しそうに言っていた。やっぱりブラジルのサッカーはそこが最大の強みであり、違いなんだ。

 今日、私はキング・ペレのお墓に行ってきた。誰もが眠っているペレと心の中で話すことができる神聖な空間だ。ペレがいなかったら、今の『サッカー、フットボール』というスポーツの地位はなかっただろう。サッカーの存在を世界中の人に知らしめ、敬意を持たれたのはペレのおかげなのだ。

 だから、世界中のサッカーに携わっている人、サッカーを愛するすべての人は”サッカー”を”サッカー”にして、”喜び”にしてくれたペレに心から感謝をしようではないか。

 ペレはNYコスモスの引退試合で「愛こそが人生で一番大事なもの。Love, love, love!」と叫んだ。

 ブラジルのプロを目指す子ども達の目は輝き続けている。その奥に、ペレの言った愛という温かいものが溢れているのが見える。監督、スタッフ、仲間達、家族への愛、そしてボールへの愛。ブラジルにそんな子どもがまだたくさんいる間は、サッカー王国であり続けられるだろう。

 ありがとうございました!【終】(大野美夏=サンパウロ通信員)

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