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【コラム】海外通信員

ブラジルから見たJリーグの差別発言問題

[ 2017年6月3日 06:00 ]

 Jリーグが始まった頃、『マリーシア』というポルトガル語がよく使われていた。

 『ずる賢い』というネガティブな意味が一人歩きして、審判の裏をかくとか、見えないところで相手にファウルするとか、見てなければ何をしてもいいみたいな悪いイメージがあった。

 まるでブラジル人選手はみんなずる賢くって、そうじゃないとサッカーがうまくならないみたいなイメージになって嫌な感じだった。

 ブラジルで生活していて、「マリーシア」という言葉を日常生活でよく使うわけではない。サッカー用語としても頻繁にこの言葉を使うわけでもない。ずる賢く相手を挑発することよりも、したたかに賢く挑発に乗らないこともマリーシアが必要だ。

 ブラジルで試合の駆け引きという意味でよく使われるのは、『カチンバ』という言葉だ。相手との激しい駆け引き、ルール内ならどんな手を使ってでも、相手の集中力を切らせたり、相手をいらいらさせたりする手段を使う。時間稼ぎもあるだろう。すごく痛いわけじゃないのに、担架で運ばれるようにして時間稼ぎしてみたり、経験から覚えたしたたかさ、露骨に悪いことをやったり、喧嘩を仕掛けるわけではない。

 カチンバはサッカーだけでなく、相手のいるスポーツなら当てはまることだ。自分の絶対的な技術力の高さを見せつけるのではなく、相対的にいかに相手を不利にさせるかということ。Jリーグが始まった時、『日本人にはマリーシアがない』と言われていたが、試合の駆け引きが未熟だったということだ。それも致し方なし。日本のサッカーが、プロリーグでなくアマリーグであったため、「カチンバ」をするほどの緊迫感や追いつめられた感じもなかったし、プロリーグになって初めて他国のプロ経験のある選手が来て、カチンバをピッチ内にもたらしたのだから。

 試合の駆け引きということは、選手一人一人の技術レベルや、組織プレーとは別の次元の話しだ。南米では、ブラジルとアルゼンチンの試合では究極のカチンバの戦いになる。技術レベルの競い合い以上に、相手との駆け引き、メンタル戦となる。普通のサッカーなどさせてもらえない中で、相手を蹴落とし、いかに自分たちのサッカーをするかの世界なのだ。例えばW杯の南米予選で互いが不調で順位が高くなかったとしても、両国の対決に不調好調は関係ない。日韓戦も同じことだろう。

 またこんなケースもある。現在、セレソンを率いるチッチ監督が、2012年FIFAクラブW杯でコリンチャンスを見事優勝させた時、世界中がチェルシーが勝つと予測していたのではなかろうか。しかし、チッチは戦術に長けているだけでなく、カチンバでチェルシーをやっつけた。チェルシーのブラジル人選手たち、ダビド・ルイス、オスカール、ルーカス・ピアゾンたちが試合に負けた後、「チームメート達に、コリンチャンスをなめてかかったらえらい目に遭うから気をつけろとあれほど言ったのに、全然分かってもらえなくて、案の定やられた」と悔しがっていた。個の力も組織力も、技術的にも戦術的、そしてメンバーの顔ぶれを見れば、チェルシーの方が格上だったが、チッチのコリンチャンスは見事カチンバで1点を死守して逃げ切った。決して華麗でも、芸術的でもないサッカーだったが、あれは絶対的な力の差ではなく、相対的な力の戦いだった。コリンチャンスは、たった一度のチャンスをものにした。

 さて、Jリーグも20年以上が過ぎ、国と国と戦いでなくとも、ライバルチームとの火花の飛び散るゲームが当たり前になった。そんなエキサイトした空気の中、時にはチーム同士のいざこざも起きる。先日、J1頂上対決の浦和対鹿島で差別発言が起きたというのだが、浦和の選手が「くさい」とブラジル人選手に言ったとか言わないとか。(本人は小笠原選手の唾が飛んで口が臭いと弁明している)

 「くさい」という言葉は、日本の学校のいじめで使われる言葉と同じ感じがする。この言葉には、におい云々の問題だけでなく、異質なもの、自分とは違うものへの蔑み、一緒にしないで欲しい、仲間はずれにする、というニュアンスを感じる。「くさい」とはいじめの典型的な言葉の一つであるが、最大の蔑みの言葉に聞こえる。相手を威嚇したり、挑発するのに、適切な言葉とは思えない。

 日本で2013年から生活しているレオ・シルバ選手なら「くさい」の意味はわかっただろう。臭うという意味よりも、「いじめ」的な意味を含んでいることを。日本で4年も生活している彼は、きっと日本が大好きだ。だから、本当に悲しかっただろう。この騒動をブラジルで大きく報道されたら、世界No.1の親日国でもだまっていられない。もし、浦和がブラジルに遠征に来たら、危険にさらされるかもしれない…。

 本人の弁明では差別発言でないといことで、お咎めはそれほど厳しくなかったようだが、選手にかかるプレッシャーの大きさが違うような感じがする。このように誤解を生む差別発言をした場合、ブラジルだったら、スポーツ裁判が判定を下す以外に、世間がだまっていない。発言した選手はもちろん、家族、親戚までが外を歩けなくなるだろう。

 選手とは、ピッチの中だけ、チーム同士の戦いだけでなく、サポーターを含めた、世の中を背負っている。それほど社会的影響は大きいのだ。

 相手を侮辱する言葉を発してずる賢く振る舞ったと得意になることは、マリーシアなんかじゃあない。カチンバでもない。カチンバは相手を侮辱することではない。スポーツは、相手の存在を認める=リスペクトの上で成り立っているゲームなのだから。相手がいなければ、試合は成り立たない。サッカーだって同じだ。サッカーだけがずる賢いものが、優秀なんてことはないのだから。(大野美夏=サンパウロ通信員)

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