「ちむどんどん」最終週に草刈正雄 圧巻の演技にネット涙も「全部持っていかれた」次女・麻有と父娘共演

[ 2022年9月27日 08:15 ]

連続テレビ小説「ちむどんどん」第122話。大里五郎(草刈正雄)(C)NHK
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 女優の黒島結菜(25)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は27日、第122話が放送され、俳優の草刈正雄(70)がゲスト出演した。次女で女優の草刈麻有(29)も朝ドラ初出演し、父娘共演。正雄の朝ドラ出演は“泰樹おんじ”こと柴田泰樹役が大反響を呼んだ2019年前期「なつぞら」以来3年ぶりとなった。オンエア終了後(午前9時)には「草刈正雄」がツイッターの国内トレンド20位にランクイン。反響を呼んだ。

 <※以下、ネタバレ有>

 朝ドラ通算106作目。タイトルは沖縄のことばで「チム(肝=心)が高鳴る様子」「胸がドキドキする」という意味。映画「パッチギ!」「フラガール」などで知られ、14年後期「マッサン」を担当した羽原大介氏がオリジナル脚本を執筆。今年、本土復帰50年を迎えた沖縄を舞台に、沖縄料理に夢を懸けるヒロイン・比嘉暢子(のぶこ)ら個性豊かな4きょうだい、本土復帰からの歩みを描く。

 第122話は、1985年(昭和60年)。「アッラ・フォンターナ」のオーナー・房子(原田美枝子)が沖縄・やんばるを訪問。暢子(黒島)は師匠との再会を大いに喜ぶ。房子の目的は、優子を“ある人”に引き合わせるためだった…という展開。

 房子によると、夜、東京から大里という人が沖縄へ。「与那城優子」「与那城秀夫」を捜したいという。与那城は優子の旧姓。秀夫は優子の弟。全国の沖縄県人会に問い合わせが回り、房子が三郎(片岡鶴太郎)から頼まれた。優子の姉・与那城時恵について、どうしても伝えたいことがあるという。

 比嘉家に足を運んだのは、大里五郎(正雄)と娘の大里悦子(麻有)。房子によると、大里は戦後、沖縄から東京へ移住し、町工場を経営。悦子によると、前年、母の遺品の整理中、大里が沖縄のかんざし「ジーファー」を見つけた。優子が手に取ると「トキエ」と掘られており「姉のジーファーです」――。

 時恵は第73話(7月20日)、優子の回想に登場。1944年(昭和19年)10月10日、沖縄大空襲。那覇は焼け野原。優子は自宅、食堂、祖父母を失った。米軍が上陸。優子は山の中をさまよい、両親、姉とはぐれ、弟の2人きりに。米兵に捕まり、捕虜収容所で終戦を迎えた。優子はあちこちの収容所を転々し、弟も亡くなった。1946年(昭和21年)、沖縄。1人ぼっちになった優子が生きる気力を失くした頃、賢三と運命の再会を果たした。

 大里は40年前、沖縄戦の最中、時恵の最期を看取ったと告白した。ある日、大里が焼け残った小屋に逃げ込むと、時恵が隠れていたという。時恵は撃たれており「どう見ても長くは。小さな握り飯を私たちにくれて。自分はもう、食べられないからと」。時恵ははぐれた妹と弟の名を大里に告げ「もしも会えたら、伝えてほしいことがあると。見捨てたんじゃない。必死に捜したけど、見つからなかった。そう、伝えてほしい。亡くなる寸前に、そのジーファーを妹に渡してくださいと」。優子は涙し、感謝した。

 時恵は亡くなる前、水を欲しがった。大里は水を持っていたものの「だけど私は、水はないと言いました。自分たちの明日からのことを考えて。食べ物をもらっておきながら、ウソをついて、水をあげなかった。ごめんなさい。本当に、申し訳ありませんでした」と嗚咽し、謝罪。優子は「最期を看取ってくださり、ありがとうございます。生きているのか、死んでしまったのか、ずっと分からなかった。だけど、ようやく。本当にありがとうございます。ネーネー、うちは秀夫を守れなかった。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。帰ってきてくれて、ありがとう」――。時恵が両親にねだって買ってもらった宝物のジーファーを抱き締めた。

 日が暮れ、優子は琉球舞踊を披露。歌子は「浜千鳥節」を歌い上げた。

 ワンポイントの出番ながら、正雄が圧巻の演技と圧倒的な存在感。SNS上には「最終週にいきなり出て来て、全部持ってっちゃう草刈正雄氏。『なつぞら』の爺ちゃん思い出した」「出勤前に化粧崩れるほど泣かすの、ほんと勘弁して」「本日の『ちむどんどん』号泣です。この1話だけで持っていかれた。草刈正雄さんには本当にやられた。涙が止まらない」などの声も上がった。

 正雄は今作のチーフ演出・木村隆文監督と16年大河ドラマ「真田丸」、「なつぞら」などでタッグ。“切り札”がラスト週を彩った。

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