鹿児島初の日本一腕 お茶でも頂点目指す

[ 2019年4月4日 09:30 ]

実家の「下窪製茶」の商品を手にする下窪陽介氏
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 【平成センバツヒーロー あいつ今何してる?(11)】 自信と負けず嫌いは、23年たっても変わらない。「正直、負ける気、打たれる気はせず甲子園に入ってました。みんなも思っていた。“俺たち凄いな”って。いつの間にか終わっていた感じです」。1996年(平8)の春、5試合45回完投、553球を投げ25安打19三振7失点で鹿児島県初の日本一を達成したV腕、下窪陽介さん(40)は少しにやっとした。

 最速142キロの直球と「消える」と言われた縦、横スライダー、カーブで春夏連続出場。大学からの野手転向で社会人6年、プロ4年を「負けたくない思いだけでやってきた」と言う下窪さんは今、市町村単位でお茶の生産量日本一の故郷・南九州市頴娃(えい)町にいる。

 15年から祖父・勲さん創業、父・和幸さんが72年に設立した「下窪勲製茶」の販売、営業担当としてほぼ無休で国内を飛び回っている。勝負球は県公認の「かごしま茶」ブランドに認定されている「知覧茶」となったが、当然自信はある。

 「お茶は奥が深く、知らないことばかりですが一番、売り上げで勝ちたい。野球で言う“伝統校”に勝つ大阪桐蔭のような“新興勢力”を目指しています。賞や品評会などで日本一になりたい」とセールスでも頂点を狙う。自身が決勝マウンドに立った4月5日近辺は新茶の摘み取り時季と重なる。「約1カ月間は戦いです。家族は寝ないで仕事している。僕は一番茶を売って、勝負します」。気迫は衰えていなかった。 (井上 満夫)
 =終わり=

 ◆下窪 陽介(しもくぼ・ようすけ)1979(昭54)1月21日生まれ、南九州市頴娃町出身の40歳。鹿児島実2年秋からエースで3年春に甲子園制覇。3年夏は右肩痛を抱えながらも全国8強。日大3年から本格的に野手転向。日本通運から06年大学・社会人ドラフト5巡目で横浜(現DeNA)入り。10年引退まで96試合出場、143打数34安打10打点。

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