坂本花織 涙で修学旅行を見送り&完全防備で運動会 元中学担任が語る素顔

[ 2022年2月17日 05:30 ]

坂本が卒業時に関口先生に贈った手作りの出席簿
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 2度目の五輪で好発進し、重圧から解放された坂本花織は安堵(あんど)の涙を流した。その素顔を知るのが、神戸市立渚中時代の3年間をともに過ごし、3年時には担任を務めた関口清香教諭(40、現神戸市立広陵中教諭)。当時を振り返ると、笑みがこぼれる。

 「めちゃめちゃいい子で、天真爛漫(らんまん)で。本当に子どもらしい、明るく元気な子だった。フィギュアスケートが忙しくて、朝練終わりの日は凄い眠たそうな時もありましたけど、何とか起きて頑張ろうとしていた。行事も、できる限り参加したいという思いを持った生徒でした」

 既にジュニア年代のトップクラスで戦っていただけに、端から見ていても苦労は伝わってきた。育ち盛りの中学年代。周りが大きな弁当を頬張っている傍らで、体重などを考慮し、野菜だけの弁当を食べることもあった。3年時の修学旅行はフィギュアスケートの大会と重なって行くことができず、人知れず涙を流していたという。

 「みんなの前には現れなかったけど、鹿児島へと向かう新幹線を見送りに新神戸駅まで来ていて“凄い行きたい”と泣いていたと。みんなのところに顔を出すと行きたい気持ちが増すから、陰で見守っていたんだと思います」

 遠征などで学校を休むこともあったが、可能な限りは出席し、行事にも参加した。「自分が活躍していることを前面に出さない謙虚な子だから、クラスのみんなが応援していた」(関口先生)。秋には「どうしても出たい」と運動会に参加。フィギュアスケートのために日焼けは許されなかったことから、まだ残暑の残る季節でも、長袖長ズボンに帽子をかぶって練習した。当日は志願して800メートル走に出場した。

 16年1~2月の全国中学校スケート大会(長野)には、関口先生が坂本花織を引率して参加した。ショートプログラム(SP)でまさかの失敗を連発して、フリーに進めなかったのも今となっては良い思い出。卒業時には本人から手作りの「出席簿」を贈られ「花織の愛をあなたに 関口先生サイコー」などと感謝の思いが書かれてあった。

 卒業後も関口先生を慕って学校へと足を運び、今でも毎年、誕生日には必ず連絡をくれるという。その坂本から卒業後に一度、相談を受けたことがある。

 「何かの大会で負けた時だったと思います。“どうやったらメンタルが強くなりますか?”とメールが来たんです。自分でも考えてから“この経験は必要なことやったんやと思うよ”と返したら“カオも負けたくないから頑張ります”と返ってきました」

 笑顔の裏で努力を重ね、たどり着いた舞台。全てを糧に、集大成のフリーに挑む。(西海 康平)

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2022年2月17日のニュース