坂本花織が銅メダルに号泣 自己ベスト233・13点 4歳から築きあげた中野コーチとの技の質

[ 2022年2月17日 22:57 ]

北京五輪第14日・フィギュアスケート女子フリー ( 2022年2月17日    首都体育館 )

女子フリー、歓喜の涙を流す坂本花織(撮影・小海途 良幹)
Photo By スポニチ

 北京五輪フィギュアスケートの女子フリーが、17日に行われ、ショートプログラム(SP)3位の坂本花織(21=シメックス)は自己ベストの153・29点をマーク。ショート、フリーともに自己ベストで合計233・13点で銅メダルを獲得した。日本女子では、10年バンクーバー大会で銀メダルを獲得した浅田真央以来のメダル獲得となった。

 女性の声と強さを伝える「No More Fight Left In Me」の曲に乗って、最後まで美しく演技。ジャンプもすべて決めた。演技終了の瞬間には両拳を突き上げた。最後カミラ・ワリエワの演技前では3位だったが、ワリエワが上回れず。メダル決定の瞬間に大粒の涙を流した。

 15日のSPでは最終滑走の重圧をはねのけ、自己ベストを更新する79・84点をマークして3位発進。演技を終えると涙を流した。それから2日。SPは1位ワリエワ、2位シェルバコワ、そして4位トルソワ。日本女子にとって10年バンクーバー五輪銀の浅田真央以来となるメダルを懸けたフリーは、ROC勢との戦いとなった。4回転やトリプルアクセルを跳ぶ3人に対し、大技のない坂本。「(ROC勢の演技を)見るタイミングを間違えると心が折れそうになる」とも語ってきたが、技の質にこだわり、高めてきた安定感で勝負した。自分の歩みを信じて、輝きを放った。

 4歳でスケートを始めてから、ずっと中野園子コーチのもとで過ごしてきた。「年の離れたお姉ちゃん2人がいるのを知った途端に“これは甘やかされているから自立させないとダメだと”と判断されたのか…。その時からずっと厳しい」。怒られて、また滑る。ガムシャラに走り続けて17歳で平昌五輪に出場した。

 この4年間。1人暮らしを始めるなど自立を始めたが、コーチの姿勢は不変だった。「何が厳しかったのか分からないぐらい、厳しい。引退するまで厳しいと思う」。氷の上ではもちろん、台湾でスムージーを、空港でコーラを隠れて買っているのがバレて激怒されたこともある。それでも食らいついたのは、中野コーチだったから――。

 「中野先生は“辞書”。何が悪いか分からない時でも、聞いたら気づける。厳しめのママ」。誰よりも信頼するから、何度怒られても、苦しい練習でも付いてこられた。一方の中野コーチは言う。「この4年間は戦いだった」と。「言えないぐらい、怒ったこともある。でも、必死になって怒れるのがいい。戦友としてやってきた」。指導をあおぐグレアム充子コーチ、そして小学1年から同門で滑り続けてきた三原舞依も一緒。17年間、戦い続け、北京で坂本花織の演技を世界に示した。

 【坂本 花織(さかもと・かおり)】
 ☆生年月日とサイズ
 2000年(平12)4月9日生まれ、神戸市出身の21歳。渚中、神戸野田高校を経て現在は神戸学院大3年。所属はシスメックス。1メートル59。血液型はB。

 ☆スケートを始めたきっかけ 2003年のNHK連続テレビ小説「てるてる家族」でヒロインの姉がフィギュアスケートをしているのを見て、興味を持ったことから4歳でリンクへ。

 ☆戦績 16年全日本ジュニア選手権優勝。18年平昌五輪6位。18年四大陸選手権優勝。18、21年全日本選手権優勝。

 ☆水泳 イトマンスイミングスクールで中学3年まで続け、選手コースに誘われるほどの腕前だった。背筋の強さや心肺能力、空間認知力がフィギュアスケートにもつながっている。

 ☆同士 22年四大陸選手権女王の三原舞依(シスメックス)は、同じ中野園子コーチのもとで一緒のリンクで練習している。小学1年からの付き合いで学年は坂本が1歳下。

 ☆自立 19年12月に運転免許を取得。20年春からは実家を出て1人暮らしを始めた。料理は卵焼きが定番メニューで、ビタミンDを摂るためにキノコ類を調理するなど栄養を計算。

 ☆アニメ スポ根系のアニメが大好き。最近では「ハイキュー!!」や「ツルネ―風舞高校弓道部―」などがお気に入り。

続きを表示

この記事のフォト

2022年2月17日のニュース