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【コラム】海外通信員

パリ・ボンディ竜巻警報(上)

[ 2017年11月29日 13:30 ]

パリSGのFWエムバペ
Photo By AP

 半月ほど日本に帰国してフランスに戻ってきたら、ドゴール空港からパリに向かう高速上で、突然パートナーが叫んだ。「もうすぐ左手にいいものが見えてくるぞ!見逃すなよ。あ、ほら、あれだ!」

 寝不足と時差ボケでぐったりの私には正直億劫だったが、謎めいた言葉につられてタクシーのバックシートから身を起こした。・・・が、私の位置からは古びた団地の輪郭が見えるだけ。「なによ、ただのHLM(低家賃公団住宅)じゃん」。だが隣では続ける。「いや、よく見ろ、よく見ろ!ほら、ほら、ほら!」

 すると、見えた。「うわーっ、これかーっ!」

 パートナーは満足げだった。「空港に向かうときは気づかなかっただろ。だから帰ってきたら驚かせようと思ってね」。バックミラーの中では運転手まで嬉しそうににんまりしている。

 それは、巨大なキリアン・エムバペだった。

 高速沿いに建つ長方形のどでかい団地の横壁で、怪童が両手を突き出し「郊外っ子」ポーズをとっている。パリ北郊の貧困や苦悩を吹き飛ばすように、爽快でエネルギッシュなイメージ。そこはエムバペが生まれた町ボンディだったのである。しかも帰宅してからもっと驚いた。テレビがエムバペ特集を組み、顔見知りのジャーナリスト2人がその団地の屋上に座って夜間中継していたのだ!もう名所になっていたのである。

 私はやや不安になった。たとえばフランク・リベリは、北フランスの故郷ブーローニュ・シュル・メールで同じことをしたが、結局キャリアは不幸なバロンドール3位に終わってしまった。大壁に肖像を掲げて本当に成功したのは、あのジネディーヌ・ジダンだけである。故郷マルセイユの海岸沿いから海の向こうを見つめる静かな肖像だった。エムバペは大丈夫だろうか。

 エムバペがリーグアン(L1)の舞台に本格的に登場したのは2016年12月。以来、やることなすことが完璧で、世界中が驚天動地になってしまった。

 なにしろたった18歳であっという間に実現した快挙は、フランスチャンピオン(モナコ)、チャンピオンズリーグ(CL)準決勝進出、L1最優秀新人賞、フランス代表デビュー、同代表初ゴール、ネイマールに次ぐ史上2位の金額(1億8000万ユーロ)でパリSG(PSG)にレンタル移籍、バロンドール候補ノミネート、ゴールデンボーイ賞、10代におけるCL最多得点者・・・と枚挙にいとまがない。PSGでもネイマールと煌めく連係をみせ、一時はごたついたネイマールとカバーニの間を繋ぐ役さえ担っていた。

 ところがついにきた。そうなにもかもうまくはいかない日――。そんな日がやってきたのだ。(結城麻里=パリ通信員)

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