菊水丸店主 珍宝堂

河内家菊水丸 「謦咳に接する」機会に恵まれた芸能人生は珍宝…人生幸朗・生恵幸子師匠の激励色紙も披露

[ 2024年2月7日 11:00 ]

吉本入りして旧なんば花月で初舞台を踏んだ時のポスターです
Photo By 提供写真

 【菊水丸店主 珍宝堂】いま話題の週刊文春に、長いお付き合いの編集者がいて、京都府南山城村の我が家に新刊本を毎週送ってくださいます。お気に入りのコラムは林真理子さんの「夜ふけのなわとび」。少し前に「謦咳(けいがい)に接する」というテーマで、晩年の岩谷時子さんとほんのわずかな時間の出会いなどがつづられていました。謦咳に接するとは「尊敬する人の話を身近に聞く。お目にかかる。咳(せき)もありがたいということ」。

 私は、吉本興業に所属する前年の1979年(昭54)、松竹芸能の劇場で河内音頭界の先輩・山中一平師匠のギター伴奏者として舞台へ上がっていました。そして、道頓堀角座へは一度だけ出演。高校2年生の16歳の若輩者としては、「おんな放談」の吾妻ひな子、ちゃっきり娘、6代目笑福亭松鶴、上方柳次・若井けんじ、フラワーショウの各師匠方にごあいさつを申し上げた瞬間こそ、謦咳に接するといえましょう。

 翌年、吉本入りして旧なんば花月で初舞台。大看板の西川きよし師匠には現在もかわいがっていただいていますが、横山やすし師匠は近寄り難かったなぁ。吉本でのデビュー前にお目にかかった人生幸朗・生恵幸子師匠はもの凄い貫禄でした。激励の色紙を書いてくださった時の芸名は改名前の河内家一若。レジェンドと呼ばれる方々と接する機会を持てたことは、まさに珍宝でございます。 (河内家菊水丸)

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