巨人・立岡のリハビリを支えた亀井コーチの言葉

[ 2024年5月24日 08:31 ]

犠打を決める立岡
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 あの言葉があったからこそ、戻ってくることができた。育成契約となっていた巨人・立岡宗一郎外野手(34)が21日、支配下に復帰。即出場選手登録されたベテランは中日戦に「2番・右翼」で出場し、712日ぶりに1軍の舞台に立った。

 「めっちゃ緊張しました。スタメンが発表されたときはシートノック中だったんですけれど、はっきり声援が聞こえてうれしかったです」

 悪夢は2年前だった。22年6月9日の西武戦。守備で味方と交錯して負傷交代となった。同30日に「左膝前十字じん帯再建手術」を受け、同年オフに育成契約に。実戦に復帰したのは、1年後の昨年7月の3軍戦だった。

 長く、つらいリハビリ生活。支えとなったのは亀井外野守備兼走塁コーチの言葉だった。「お前が離脱してから、チームが失速したんや」。離脱時は2位だったチームは最終的には4位で22年のシーズンを終了。「“そんなことないでしょ”と思いつつ、うれしかったです。もっと必要とされる選手になりたい、という気持ちが芽生えました」。欠かさず1軍の試合をチェックして、自分が再び活躍する姿をイメージしてきた。

 左膝の大ケガを乗り越えてたどり着いた復帰戦。0―1の7回無死二塁ではきっちり投手の前へ犠打を転がし、送りバントに成功し、直後の吉川の同点犠飛につなげた。6打席に立って3打数無安打と快音は響かなかったものの、1四球に2犠打。「出されたサインはちゃんと遂行できた。最低限です」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。

 「プロ入りしたときは右打ちで内野。ケガして左打ちになって外野になった。育成も大ケガも経験した。ほぼ、全部経験しているなと思う。もう一回、ここから“全盛期”だと思って頑張ります」。自身も、チームも、ピークはこれからだ。(記者コラム・青森 正宣)

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