中畑清氏 戦友山本氏を悼む ポジション奪っても嫌な顔ひとつしなかった

[ 2016年4月24日 08:00 ]

1976年、(左から)中畑、西本、山本功、塩月の巨人若手選手たち
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山本功児さん死去

 こんなに早く別れの日が来るとは…。病状がよくないという知らせをもらってお見舞いに行ったのは今年の2月。思っていたよりずっと元気で、武白志のことを凄く心配していた。彼が一人前になるまで頑張ってくれると信じていた。

 2歳年上だけど「功(こう)ちゃん」と呼ばせてもらった。出会いは1973年。功ちゃんが法大4年、私が駒大2年のときだ。日米大学野球の代表に選ばれ、一緒に渡米した。この年のオープン戦。三塁打を放って滑り込んできた功ちゃんに「ナイスバッティング!」と声をかけたら完全に無視された。その話をしたら「キヨシ、おまえが怖かったんだよ」と言われた。私は直射日光に弱く、偏光サングラスをかけていたのだ。

 それ以来の戦友。兄弟のようにかわいがってもらった。2年後のドラフトで私が3位、功ちゃんは5位指名されて巨人に同期入団。いつも行動をともにする功ちゃんのポジションを奪う形になったのは81年だった。ゴールデンルーキー原辰徳が入団した年だ。開幕は一塁・功ちゃん、二塁・原、三塁・中畑でスタートしながら私がケガで離脱。原が三塁に回り、二塁には篠塚利夫(のちに和典)が収まった。復帰した私が与えられたポジションは一塁。天下一品の一塁守備を誇る功ちゃんを外野へ追いやったのだ。

 それでも「(一塁は)キヨシが守るんだから」と嫌な顔ひとつしなかった功ちゃん。チームを思い、仲間を思って行動できる人だった。だからこそ84年に移籍したロッテで活躍し、監督までなれたんだと思う。後輩や裏方さんの面倒見がよく、普段は穏やかだけど、短気な一面もあった。納得いかないことがあったら、とことん戦う。怒ると怖かった。あの穏やかな笑顔も鬼の形相ももう見られないんだなあ。寂しくてたまらない。

 64歳という若さで旅立った戦友。少しでも恩返しになるなら…。武白志の成長を見守っていきたい。それが功ちゃんにとって一番の心残りだろうから。 (スポニチ本紙評論家)

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