箕島29年ぶりV 故尾藤氏長男“スマイル”継承就任1年目で栄冠

[ 2013年7月28日 06:00 ]

涙をこらえる箕島・尾藤強監督

和歌山大会決勝 箕島10―1南部

(7月27日 紀三井寺)
 29年ぶりの夏の甲子園出場を告げる箕島の校歌が球場に鳴り響いた。同校を4度の甲子園制覇に導いた名将、故尾藤公氏の長男、強(つよし)監督(43)の采配で聖地への切符を獲得。孝行息子は「あの校歌を聞きたくて毎日頑張ってきた。うれしかった」と涙が止まらなかった。

 強監督らしさが出たのは2回だ。1死一、三塁で8番・須佐見。南部バッテリーは2度ウエストするなどスクイズを警戒した。だが、バントのそぶりがないまま、2ボール2ストライクからのスリーバントスクイズで先制。敵将の南部・井戸大志(ひろし)監督は「オヤジさんより、したたか」とその采配に舌を巻いた。緊張から普段の力を発揮しにくい場面にも、須佐見は「(監督は)ミスしてもけなさないので楽にいける」と難なくこなした。

 偉大な父と比較されることを覚悟の上で、今年3月に母校の監督に就任した。その中で「復活ではなく、新しい歴史をみんなでつくっていく」と言い続けてきた。

 ただ、「箕島特有の厳しさの中で伸び伸びとした野球で(部員の)成長を手助けできれば」と目指すスタイルは父と重なる。父のトレードマークだった「尾藤スマイル」は「意識しません。無理に笑うこともできませんし」と苦笑いするが、選手と交換日記などでコミュニケーションを欠かさず、練習中にも自然と笑みがこぼれる。中西主将が「やっぱり笑顔が多い。リラックスできる」と話すように、“血”は受け継がれている。

 小学生の頃から自然と憧れた箕島へ進んで父の薫陶を受けたが、選手時代は甲子園に手は届かなかった。指導経験もなかった中で転機が訪れたのは昨秋。OB会に要請されてコーチで戻り、その時点で将来の監督就任も既定路線となった。土木建設業者で働きながらの指導。当初は「ハードやな」と感じていたが、選手たちの必死な姿を見ると、泣き言は言ってられなかった。

 監督として初めて踏む聖地。父には「甲子園に行くことになりました。ありがとう」と報告し、夢の舞台に立つ。

 ◆尾藤 強(びとう・つよし)1969年(昭44)7月30日、和歌山県有田市生まれの43歳。箕島時代は投手として父の指導を受け、86年夏の和歌山大会で2年生エースとして決勝まで進んだが敗退。3年時も甲子園に出場できなかった。法大進学後、長野県のサッシメーカーに就職。96年の結婚を機に帰郷し、地元の建築会社に入社。昨秋から母校のコーチを務め、今年3月に監督就任。会社勤務を続けながら指揮を執る。

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