アニソンの帝王・水木一郎さん逝く…肺がん闘病中の先月27日ライブ出演 もう聞けない「ゼーット!」

[ 2022年12月13日 04:35 ]

17年、スポニチ本紙のインタビューでポーズを決める水木一郎さん
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 「マジンガーZ」「バビル2世」など数多くのアニメのテーマ曲を歌い「アニメソング界の帝王」と呼ばれた水木一郎(みずき・いちろう、本名早川俊夫=はやかわ・としお)さんが6日午後6時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。所属事務所が12日、発表した。74歳。東京都出身。葬儀は近親者で執り行った。7月に脳転移などを伴う肺がんで闘病していることを公表していた。持ち歌は1200曲以上で、世界にも浸透したアニソン人気の礎を築いた。

 水木さんは昨年4月に声が出なくなる異変に気付き、「声帯不全まひ」と診断された。検査の結果、リンパ節や脳への転移を伴うステージ4の肺がんを患っていることが判明。脳からがん細胞が広がる髄膜播種(はしゅ)も伴い、厳しい病状だったという。今年7月に公表し、放射線や投薬治療を続けていることを明かした。

 入退院を繰り返す一方で、歌手活動は継続。今年10月にテレビ番組の収録後に会見し「あと5年、10年歌ったらもっといい歌が歌えるかもしれない。生涯現役です」と意欲十分だった。だが、今月6日に体調が急変。病院に救急搬送され、家族に見守られながら息を引き取った。

 生涯現役の言葉通り、黒革ばりでソファ風の特注車いすで公演に出演し続けた。最後のステージは先月27日、堀江美都子(65)との恒例のアニソンライブだった。既に歌える体ではなかったが、車いすに乗って登場。曲の歌唱は後輩歌手に託し、水木さんは時折口ずさむなど、うれしそうな笑みを浮かべていた。ファンに向けて「生涯現役、応援してください」と声を振り絞ると、会場は温かい拍手に包まれた。今月2日も、「マジンガーZ」の作曲家でもある故渡辺宙明さんの追悼公演に駆けつける予定だったが、当日にキャンセル。「みんなよろしく頼むゼーット!」と手紙を寄せていた。

 1968年のデビュー時は歌謡曲の歌手。いっこうに売れなかったが、それを救ったのがアニソンだった。71年にアニメ「原始少年リュウ」のオープニング曲を歌うことになり、これが帝王への道を開くことになった。

 73年発売の「マジンガーZ」のレコードは70万枚を超える大ヒットを記録。76~79年にNHKの子供番組「おかあさんといっしょ」の2代目うたのおにいさんを務めたことで、後に「アニキ」と呼ばれるようになった。

 後輩とも積極的に交流し、2000年に影山ヒロノブ(61)ら人気アニソン歌手が集結した夢のユニット「JAM Project」を結成。ブームをけん引する原動力となった。熱烈な中日ファンとして知られ、02年から応援歌「燃えよドラゴンズ!」の歌唱を担当。主宰する「水木一郎ヴォーカルスクール」では後進の育成にも尽力した。

 ≪全国各地で海外公演≫

 水木 一郎(みずき・いちろう、本名早川俊夫=はやかわ・としお)1948年(昭23)1月7日生まれ、東京都出身。4人兄弟の末っ子。ジャズを子守歌に育ち5歳で歌手を志した。68年歌手デビュー。「アニソンの帝王」としてフランス、中国、コスタリカ、サウジアラビアなど世界各地で海外公演。

 ▼髄膜播種 がん細胞がくも膜下腔(くう)に侵入し、髄液の中にがん細胞が広がった状態。吐き気やふらつきなどの症状が出る。播種はもともと「植物の種をまく」意味。そこから、体内にがん細胞がバラバラと広がること。

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