水木一郎さん逝く 国境を超えたアニソンの帝王 歌謡曲歌手から転身…第一人者に ウィキ90以上言語

[ 2022年12月13日 04:38 ]

水木一郎さん死去 74歳

17年、スポニチ本紙のインタビューでポーズを決める水木一郎さん
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 水木一郎さんは、当初は歌謡曲でデビューしたものの鳴かず飛ばずだった。同じレコード会社の先輩歌手だった九条万里子と結婚することになり、一時は歌手活動から遠ざかった。

 生活費を稼ぐためにナイトクラブなどで歌う日々が続いたが、71年にアニメ「原始少年リュウ」の主題歌を歌ったことがきっかけで新たな歌手生活が花開いた。当時は「アニソン」という言葉がない時代。名前も顔も表に出ないアニメ主題歌を歌いたがる歌手がいない中で、水木さんは「マジンガーZ」や「超人バロム・1」などの主題歌でヒットを連発した。

 同時に「仮面ライダー」ショーの司会兼歌手として全国各地のデパートの屋上を巡業。気がつけば歌声は全国に知れ渡るようになった。

 現在まで続くアニソンブームの立役者。子供向けと思われていたアニメソングだが、97年には大人も楽しめるライブを企画した。日本のアニメが世界で知られるようになると、アニメソングの伝道師として国境を超えた活動を精力的に行った。

 2001年には香港で初の海外ライブを成功させた。07年には仏パリで「JAPAN EXPO」のオープニングライブを担当。“Z”を“ゼット”と発音しない国の人たちも水木さんに合わせて「ゼーーーット!」と熱唱するほどの盛り上がりを見せた。

 その存在は世界でも広く知られるようになり、水木さんのウィキペディアは90以上の言語に翻訳されている。日本アニメが人気のスペインの地元紙「EuroWeekly News」は、電子版で水木さんの訃報を速報。日本の漫画、アニメを扱う米雑誌「オタク USA」(電子版)も「アニメ界のレジェンドで“アニキング”だった」と追悼。世界的有力経済誌「フォーブス」(同)も死去を伝えた。

 ▼森口博子(ステージで共演)アニキの存在が大きすぎて、旅立ったことが今でも信じられません。プライベートでも、身内のように可愛がってくれたアニキとの時間や歌声は、自分の存在意義に自信を持たせてくれる、エネルギーと愛に満ちていました。生涯現役を貫き通し歌い続けたアニキは地球の誇りです。

 ▼中川翔子(タレント)水木一郎アニキがいない世界なんて、信じたくないです。誰よりも元気で明るく強く優しく、一緒にゲームをしたり歌ったり本当に娘のように可愛がっていただきました。アニソンという文化で世界中を救ってくれた、唯一無二の偉大な太陽です。

 ▼哀川翔(主演映画「ゼブラーマン」の主題歌を水木さんが担当)先月、テレビで歌っている姿を見て「これからも歌い続けるゼーット」と言っていたので、良くなっているのかなと思っていた。声を振り絞っていたのかなあ。悲しいですよ。

 ▼中日立浪監督 長きにわたりドラゴンズを応援していただき、ドラゴンズファンなら誰もが知っている「燃えよドラゴンズ!」を歌っていただいていたので、とても残念です。あの力強い歌声にプレーをする選手は力を頂いていました。来年こそは水木さんに良い報告ができるように戦っていきたいです。

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