オリ96年日本一戦士・鈴木平氏「優勝おめでとう」プロ生活スタートはヤクルトで「ちょっと複雑な思いも」

[ 2022年10月30日 22:20 ]

SMBC日本シリーズ2022第7戦   オリックス5―4ヤクルト ( 2022年10月30日    神宮 )

96年日本シリーズの胴上げ投手・鈴木平氏は、22年のオリックス日本一を見届けた
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 26年前の日本シリーズでオリックスの胴上げ投手となった鈴木平氏(52)。「オリックス、優勝おめでとうございます。ちょっと複雑な思いもありますが、皆、よくやったと思います」と目を細めた。

 鈴木氏は87年ドラフト3位でヤクルトに入団。野村勝也監督の下、2年目に一軍登板を果たしたが、95年にオリックスへ移籍した。「高津監督、中嶋監督はどちらも1年先輩。現役時代、仲もよかったし、ホントはどちらが勝ってもよかったかなと思います」と“両軍OB”として、接戦続きの7試合を演じた後輩たちを称えた。

 鈴木氏は95年に移籍して才能開花。中継ぎ右腕として活躍した。オリックスとしてリーグ初優勝。だが、古巣ヤクルトとの日本Sでは3試合に登板したが、悔しい思いをした。「日本シリーズでヤクルトに負けて、ホントにへこみました。日本一を獲りたい。その思いだけでした」。翌96年は抑えとして19S。シーズン終盤もタイトルを狙える位置にいたがリーグV決定後は休養し、登板回避。個人タイトルよりもチームの優勝を優先した。

 実は96年に神戸で胴上げ投手となった時の記憶がほとんどない。第1戦の9回に同点2ランを浴びたが、結局は勝利投手。「その登板で左脇腹を痛めた」。第2戦は痛みをこらえて抑えたが、東京から神戸への移動日に「隠してましたが、ブロック注射を打ちにいった」。第3、5戦は無我夢中。「優勝はうれしかったけど、それ以上に責任を果たしてホッとしました。肉体的にも精神的にも疲れてた。あとで映像を見て、胴上げの輪の外にいたことに気づいたぐらいです」とシリーズ最多セーブポイント4の偉業を懐かしそうに振り返った。

 その後、中日、ダイエーと渡り歩き、02年オフに引退。現在は地元・磐田市で「タイラ治療院」を開業している。現役時代に故障が多かったことで、06年に鍼灸師の国家資格を取り、体の仕組みを勉強。院長として整体も交えながら地域住民や、高校球児らアスリートのケアに従事。また、磐田南高野球部を指導している。

 ◇鈴木 平(すずき・たいら)1970年3月10日、静岡県磐田市出身の52歳。東海大一から87年ドラフト3位でヤクルトに入団。95年にオリックスへ移籍。救援で95年リーグ優勝、96年日本一に貢献。02年引退後、06年に地元・磐田市内で鍼灸院「タイラ治療院」を開業。

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