【侍JAPANの原点5】広島・鈴木誠 鉄のバット振り続けた下町の少年が世界へ

[ 2021年7月24日 05:45 ]

荒川リトルシニア時代の恩師の石墳成良さん(左)と鈴木誠也(鈴木宗人さん提供)
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 東京都荒川区。下町の町工場で、誠也少年は来る日も来る日もバットを振った。普通のバットではない。長さ80センチ、太さ3センチほどの鉄のバット。パイプを加工し、滑り止めのグリップを溶接した特注品だった。これで小さなゴルフボールを打つ。荒川リトルで本格的に野球を始めたのは小3の時だが、幼き日の鈴木誠はネットに向かって百発百中で打ち返していたという。

 発案者は父・宗人さん(56)。自身の町工場「相馬工業」でバットを作った、荒川リトルシニア野球協会事務局長の石墳(いしづか)成良さん(58)は「バットは細いし、ゴルフボールも小さいので当てるのが難しい。(鈴木誠は)バットに当たるまでよくボールを見て打っていた」。町工場が連なる荒川区。「昔から野球が盛んな地域。誠也は小3の時から体もデカくて、投げる打つ走る…と上級生に交じっても遜色がなかった」。ここが原点。鈴木誠は人情味あふれる下町から世界に羽ばたこうとしている。

 中3時に出場したシニアの全国大会。準々決勝で、鈴木誠の親友だった当時の主将が頭部に死球を受けた。救急車で病院へ。幸いにも軽症だったが、試合は逆転負けを喫してしまった。試合後、球場に戻ってきた主将の姿を見るなり、鈴木誠は「負けちゃったよ…。ごめん、ごめん!」と真っ先に駆け寄って号泣した。勝負に懸ける熱き魂は、今も鈴木誠の胸に宿る。真夏の五輪。4番打者には熱き戦いがよく似合う。

 「明るくて負けず嫌いで、おちゃめな子でした」と石墳さん。日の丸を背負って戦う姿に「みんなの自慢です。うれしいですね」と笑う。海の向こうでは、鈴木誠と同学年のエンゼルス・大谷翔平が、米球界の歴史を変えるような活躍を見せている。LINEなどで連絡を取り合っているという鈴木誠も、世界を舞台に暴れてみせる。(鈴木 勝巳)

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