不屈の長嶋さん 五輪の舞台踏みしめた、脳梗塞で立てなかったアテネから17年…壮絶リハビリ乗り越え

[ 2021年7月24日 05:30 ]

東京五輪 開会式 ( 2021年7月23日    国立競技場 )

聖火のトーチキスを行う(左端から)王貞治さん、長嶋茂雄さん、松井秀喜さん
Photo By 代表撮影

 夢の聖地を、ついに踏みしめた。願い続けた五輪の舞台。長嶋茂雄氏(85=巨人終身名誉監督)が万感の思いで聖火をつないだ。吉田沙保里さん、野村忠宏氏から左手のトーチに受け継いだ。「“一番心地良い歩き方をしてください”という打ち合わせをしました」と語った愛弟子の松井氏に支えられ、代わりにトーチを持った盟友の王氏とともに歩みを進めていく。ゆっくりと、確かに。観衆はいない。でも、興奮は抑えられない。

 日本スポーツ界の象徴的な存在としてこの場に立った。聖火台にともった五輪の灯を見つめる長嶋氏の胸の奥には、さまざまな思いが去来したに違いない。

 思えば17年前。長嶋氏は日本代表監督としてアテネ五輪の舞台に立つはずだった。それが直前の04年3月、脳梗塞で倒れた。命も危ぶまれ、「寝たきりになるかもしれない」とまで言われた。そんな状態でも、長嶋氏は病床で「アテネに行きたい」と現地での指揮を望んだ。だが、アテネ行きは断念、チームも銅メダルに終わった。ただ、五輪への思い、野球への情熱が薄れることはなかった。

 それからだ。現場復帰へすさまじいリハビリに取り組んだ。右手と右足にまひが残り、言語能力にも影響が出ていた。「1ミリでも動くようにするんだ」と大の大人が泣いてやめてしまうようなメニューをこなし、奇跡的に回復。16年リオデジャネイロ五輪後には最終聖火ランナーの有力候補に挙げられた。

 亡き亜希子夫人と出会ったのが64年の東京五輪。57年の時を経て運命的な「縁」もあった。実は昨年、東京五輪が予定通り行われたら開会式に参加できる状態ではなかった。体調を崩し、この時期は療養中。コロナ禍で東京五輪が延期となったことで、この日を迎えることができた。リハビリ再開は昨年の秋から。都内の自宅地下室にある歩行練習用のマシンを利用し、食事面も減塩食などカロリーに気を使った。

 長嶋氏は常に戦ってきた。選手として、監督として。そして今もなお「人生」というグラウンドで戦い続けている。以前「なぜそこまでできるのか?」の問いに、長嶋氏はこう答えている。「諦めた人生なんて面白くないじゃないですか」。どんなに苦しくても戦い抜き、どんなにつらくてもゴールを目指す。最後まで諦めない――。長嶋氏の姿こそが、聖火ランナーとしてのメッセージだった。

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