侍J、10年ぶり世界一!東京五輪金へ弾み 稲葉監督男泣き ぶれぬ信念に宿った結束

[ 2019年11月18日 05:30 ]

第2回WBSCプレミア12決勝   日本5-3韓国 ( 2019年11月17日    東京D )

優勝を決め胴上げされる稲葉監督(撮影・木村 揚輔)
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 稲葉監督が泣いた。侍ジャパンは17日、決勝で大会連覇を狙う韓国と対戦し、5―3の逆転勝ちで大会初優勝を果たした。トップチームの世界制覇は09年の第2回WBC以来、10年ぶり。信念の采配を振った稲葉篤紀監督(47)のもと、固い結束力で初回の3点のビハインドをはね返した。20年7月29日に開幕する東京五輪で金メダル獲得へ、侍が自信と誇りを取り戻した。 

 歓喜の瞬間はにじんで見えた。稲葉監督の胸に、両目に、熱いものがこみ上げた。勝利の儀式を終えると、マウンドへ。笑顔の指揮官が8度舞った。

 「最高です。就任から2年、このプレミア、そして来年の五輪に優勝したいという思いで過ごしてきました」

 打撃コーチだった15年のプレミア12は準決勝で韓国に3―0とリードした9回から逆転負けを喫した。この夜、3失点と不安定だった先発・山口を初回で交代させ、2回からは高橋礼。「後ろにみんながいる。総力戦ですし決断しました」。流れを変え、3点差を逆転し雪辱を果たした。

 始まりも「苦渋の決断」だった。5日開幕ベネズエラ戦。2点を追う8回1死満塁で不振を引きずる坂本勇に打席が回ると、同じ右打者の山田哲を代打に送った。「苦渋の決断だった。でも勇人も分かってくれている」。坂本勇もベンチで暗さは見せず声を張った。

 だからこそ、勝利の瞬間に浮かんだのは選手たちの顔だった。「哲人、浅村は慣れない一塁。外崎も三塁や外野。他の選手も投手も慣れないポジションでやってくれた。みんなが世界一に一生懸命だった」。勝負師であり、人情家。開幕前には金子ヘッド兼打撃コーチが「監督が一番心中したかった選手」と言う秋山が死球骨折で離脱した。核を失ったが、追加招集の丸が体を張って全試合中堅で先発出場。数々のピンチ、苦難を越え、そんな指揮官の下だからこそチームは結束した。

 侍らしく襟を正し戦った。10月31日の強化試合カナダ戦。練習前に全員を集め説いた。「我々はジャパンとして日の丸を背負い戦う。みんなで国旗を見て、国歌を歌おう」。稲葉監督自身が脱帽し右手を下げ、国歌を歌う。全員がその姿に倣った。就任以来、ツバ吐き禁止、ベンチでの帽子とユニホームの着用を指示してきた。ベネズエラ戦では球審までの距離が遠く、交代を告げる際に指笛を吹いた。逆襲の流れを止めたくない思いから出たものだが「人を指笛で呼ぶことは良くない。やめます」と翌日にすぐ自ら禁じた。

 「野球界のトップチームとして鑑(かがみ)でなくてはならない」。信条はぶれない。そして鑑であるために何より必要なことが、勝利であり結果だと信じてきた。「侍ジャパンは勝利至上主義」と繰り返し、09年第2回WBC以来10年間遠ざかっていた国際大会のタイトルを求めた。

 「来年五輪があります。世界一が獲れるようしっかり準備をしていきたい」。稲葉監督の目はまだ、赤い。ただ視線の先にある20年8月8日、東京五輪決勝、横浜スタジアムでの決戦。その輪郭はぼやけず、はっきりと見えた。(後藤 茂樹)

 ▼中居正広(侍ジャパン公認サポートキャプテン)しびれました。大味の試合にはならないと思っていたので、序盤は素人では想像のつかない展開でした。山田選手のホームランはびっくりしました。状態が上がってきていたので、打ててよかった。来年には五輪が控えていますが、今は(余韻に)ちょっと浸っていたいです。

 ▼丸 なかなかチームの力にはなれなかったけど、国際大会でその一員になれることはなかなかない。今大会で得たことを今後に生かしたい。

 ▼坂本勇 チームが勝ったことが一番。今回初めて代表で優勝を経験して、想像以上にうれしかった。

 ▼会沢 めちゃめちゃうれしい。(初回3失点で)逆にあれで僕が冷静になれた。日本の投手は頼もしい。僕も助けられた。

 ▼高橋礼(2番手で2回無失点)もちろん最初から準備をしていた。ストライク先行で相手の勢いを止めようと思った。

 ▼田口(3番手で2回無失点)どういう場面でもすぐ試合に入っていけるように準備していた。

 ▼中川(4番手で1回無失点2奪三振)チームが勝ったので、それだけで十分です。緊張はした。でも、少しはチームのためになれたかなと思います。

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