研ナオコ あの大物との出会いは偶然…その後“名コンビ”に「初めて聞いた声で、この人誰なんだろう」

[ 2022年11月13日 16:10 ]

研ナオコ
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 歌手の研ナオコ(69)が13日放送のNHK「演芸図鑑」(日曜前5・20)に出演。あの大物アーティストと出会ったきっかけを明かした。

 17歳だった1971年、「大都会のやさぐれ女」でデビュー。CMやバラエティー番組で人気となった後、75年に阿木燿子&宇崎竜童が手掛けた「愚図」がヒットし歌手としても認められるようになった。その後、「LA-LA-LA」「あばよ」「かもめはかもめ」と、中島みゆき提供の作品でヒットを連発。「LA-LA-LA」は中島が他のアーティストに初めて提供した楽曲だったが、その“出会い”は偶然だったという。

 移動中、飛行機の機内サービスで音楽を聴いていたところ、「初めて聞いた声で、“この人、誰なんだろう”と思ったら『中島みゆき アザミ嬢のララバイ』ってあったんです。ずっと聴いていたら、私、この世界好きだなと思って」と中島のデビュー曲を気に入った研。「横にいるマネジャーに“この人、東京へ帰ったら曲を作ってもらって。お願いして”って言ったんです。そしたらマネジャーが社長に言って、みゆきちゃんがOKしてくれて。で、その後『時代』でみゆきちゃんがボーンと上ったんです。だから『時代』が売れてたら私は作ってもらえなかった」と当時を振り返った。

 “ゴールデンコンビ”と呼ばれる前の阿木&宇崎やデビュー直後の中島に曲を依頼したことについて「他の方が楽曲を提供された後にお願いするの、凄い嫌なタイプなんです。自分で見つけたいタイプ。その時に凄いハマったのがみゆきちゃんで。何曲もヒット曲をもらって」と話した研。MCの落語家・立川志らくに「歌う時に一番大事にしているものは何ですか?」と聞かれると、「歌い上げない。言葉を置いていく」と即答。「民謡とか浪曲と違って歌謡曲ですから。歌詞が残らないと歌じゃないですよね。張る歌でもずっとつなげて歌わないんですよ。張ってもプツッて切って次のブレス一拍入れて。やっぱり詞は伝えないとダメだと思うんですよね。私の中では“芝居は歌え、歌は語れ”っていうのが凄くあるんですよ」と歌手としてのこだわりを明かした。

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2022年11月13日のニュース