ラモス氏 脳梗塞を発症も過酷なリハビリ経て復活「一番良かったのはリフティング」世界からの激励も力に

[ 2022年3月29日 16:03 ]

ラモス瑠偉氏
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 元サッカー日本代表のラモス瑠偉氏(65)が29日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。2016年に発症した脳梗塞との闘いを振り返った。

 1977年にブラジルから来日して45年となるラモス氏。私生活では1984年に結婚。だが妻・初音さんは2011年に転移性肝がんのため52歳の若さで他界した。その後、自暴自棄になったラモス氏を献身的に支えてくれた俊子さんと2015年に再婚。だがその翌年に、脳梗塞を発症した。

 朝ベッドから落ちて動くことができずに、救急車で病院に運ばれると、右の大脳動脈に脳梗塞が起こっていると診断されたというラモス氏。司会の黒柳徹子が「入院中は体の左側が動かず。その後は車椅子の生活になったんですって」と語ると、「そうです。先生がちょっと寝たり起きたりしてたときに、妻に(今後はずっと)『車椅子の可能性もゼロじゃないよ。覚悟しといて』って。聞いた瞬間に、絶対それだけはないなと思いまして。頑張ろうかなと思って」と振り返った。

 俊子さんはその間病院に寝泊りし、看病してくれたとし、「ずっとですよ。もし再発したときにそばにいないと、二度と会えないなと凄い不安がって、先生にお願いして。ベッドがないんだけど、ここで寝かしていただけないかなと。彼女もつらかったと思いますよ。20日間以上です」と感謝した。黒柳が「いい奥様ね」と話すとラモス氏は「恵まれてる女性に。娘もいいし」と笑って見せた。

 退院後はリハビリセンターに移り、3週間の過酷なリハビリを行った。「つらかったけど、良かったと思います。感謝してますよ」と語った。「大分私たちも内緒で練習をやってました」。最初は体がよろけたと言うが、再び動くことができるように。「付き合ってくれた先生たちも大変だったと思いますよ。頑固で、わがままで」とし、現在脳梗塞と戦う人たち、サポートする人たちに向けては「本人は一生懸命やってるんだけど、動かないんですよ。私も先生に怒られたんですけど、そのときも先生に怒ったんです。『私、やってるよ。頑張ってます』と。それはやっぱり褒めるべきだと思うんです」と力説。「あと無意識でいろんなことを言い出すんですよね。それはわがままに聞こえるかもしれないんですけど、そうじゃないんですよ。周りにいる人たちは大変だと思うけど、そこをちょっと理解してくれると」とも語った。

 リハビリの内容については、「最初はバランス取りながらとか。左手でテニスボールとか(をキャッチする)」「歩きとか階段上ったりとか」、先生からプレゼントされたサッカーボールでのリフティングもやるようになり、「結構つらかったけど、一番良かったのはサッカーボールでのリフティングをやったこと。『右(足)がやってるよ、あなた(左足)もやりなさい』って」と徐々に動くようになったとした。「これ大変だったですよ。20回ですよ。毎日少しずつやって。めちゃくちゃ嬉しかったですよ。やらないとダメです。意識も大事ですね。目的とか」。病院から家まで走って帰るという目標も立て「どうやって歩いて帰れるのか」「どうやって走って帰れるのか」と考えるようになったとした。

 黒柳から「徐々にでも動けるようになったのは、病気になってからどのくらいたってからですか」と聞かれると、ラモス氏は「1カ月ぐらいかかりましたね。特に最初の3週間ぐらいはつらかった。1カ月半ぐらいだけど、1カ月ぐらいで廊下で歩いてましたね。速足とか、ジョギングとかできましたね。でも大変です。階段上ったりするのが」と明かした。

 そんなラモス氏には世界中から激励のメールも寄せられたという。「凄かったですよ。日本代表のビーチサッカーをやってまして、昔から。UAEとかイランとか中国とかブラジルもちろんスペインとか、いろんなところから『ラモス頑張れ』とかいろいろ。あのメッセージを見てると逆に早く皆さんに安心させたいから、早く歩きたいし、早く退院したいし、記者会見開きたいなと。皆さんのおかげでここまで来れた、ありがとうと。感謝の気持ちを伝えたくて」と大きな力になったとした。

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2022年3月29日のニュース