【内田雅也の追球】「10・14」心に残る4年間 優勝も日本一もならずも、矢野監督の思いは届いただろう

[ 2022年10月15日 08:00 ]

セCSファイナルステージ第3戦   阪神3ー6ヤクルト ( 2022年10月14日    神宮 )

セCSF<ヤ・神>ファンの歓声を浴びながら球場を去る矢野監督(撮影・大森 寛明)
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 阪神監督・矢野燿大の挑戦が幕を閉じた。最後となった一戦はあまりに情けなく、悲しくなる逆転負けだった。

 用兵も作戦も裏目裏目と出た。2回表に命じた佐藤輝明への送りバントは、結果が失敗という以前に佐藤輝をどうしたいのかという問いが残る。

 悪夢の7回裏。悪送球したジェフリー・マルテは、守備固めが遅れたからではないか。まだ1点リードで青柳晃洋を降ろしたのはどうか。エースには味方のミスをカバーする気概があったろう。

 ベンチに下がった後、佐藤輝にも青柳にも無念の表情が見て取れた。怒りの持って行き場に戸惑っているようだった。彼らは矢野の下で育ってきた。負ければ終わる一戦で、力になれない無念は推して知るべしだろう。

 10月14日だった。長嶋茂雄の引退試合の日である。1974(昭和49)年、今から48年前、「ミスタープロ野球」はユニホームを脱いだ。

 サザンオールスターズの『栄光の男』は<ハンカチを振り振り あの人がさるのを 立ち喰(ぐ)いそば屋のテレビが映してた>と歌い出す。長嶋引退の光景である。

 作詞作曲した桑田佳祐は当時青学大1年だった。実際は東京・青山の喫茶店でテレビを見ていたそうだ。そして人目もはばからずに泣いた。

 日本テレビアナウンサーだった徳光和夫は打ち合わせと称して会社を抜け出し、東芝府中野球部員だった落合博満は会社を休んで、後楽園球場のスタンドにいた。時代のヒーローだった。高度成長期、懸命に働く人びとの夢と希望の星だった。

 矢野が目指したのも人びとに元気や勇気を与える野球だった。「誰かのために」をテーマに掲げた。「僕の究極の思いは」と矢野からよく聞いた。「子どもたちに格好いい姿を見せたい。野球少年や高校球児に楽しむことの大切さを伝えたい」

 だから「超積極的――失敗を恐れない」「決してあきらめない」といった姿勢を選手に求めてきた。優勝も日本一もならなかったが、思いは届いたのではないか。この4年間、阪神の戦いぶりに心が震えた人びとが多くいたことを知っている。

 いくつもの眠れぬ夜をこえ、矢野はユニホームを脱ぐ。「10・14」に迎えた最期。「栄光の男」にはなれなかったが、心に残る日々だったと記しておく。=敬称略=(編集委員)

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2022年10月15日のニュース