阪神・矢野監督独占手記 シーズン前「退任発言」の真相「俺たちの野球」「佐藤輝への思い」語った 

[ 2022年10月15日 07:00 ]

セCSファイナルステージ第3戦   阪神3ー6ヤクルト ( 2022年10月14日    神宮 )

セCSF<ヤ・神>敗退が決まりファンにあいさつする矢野監督(撮影・大森 寛明)
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 プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ(S=6試合制)は14日、両リーグで第3戦を行った。セ・リーグはレギュラーシーズン3位の阪神が、リーグ覇者のヤクルトに3―6で敗戦。CSファイナルSのアドバンテージを含む0勝4敗で敗退が決まった。3点優勢の7回に2つの適時失策が出て5失点で逆転を喫した。4年間指揮を執った矢野燿大監督(53)の日本一の夢はついえた。本紙に独占手記を寄せ、春季キャンプ前日に異例の退任表明をして臨んだシーズン中の葛藤を明かした。

 勝てるチャンスがあっただけに悔しいし、野球の難しさをこの1試合だけでも経験させてもらった。最後にああやって声援してもらえたのも、この選手たちとやれたことも、今は感謝しかない。

 4年間監督をさせてもらった中で、「俺たちの野球」で大事にしてきた諦めない姿勢と挑戦する気持ちを選手が結果に結びつけてくれた時は、本当にうれしかった。優勝していない俺が言うのはおかしいかもしれないが、今のプロ野球は勝つことは当然で、プラスアルファの何かが必要だと思っていた。例えば「俺たちの野球」が落ち込んでいる人を勇気づけたり、前に進めていない人の背中を押せたり。そういう夢と理想を追い求めてきた。

 プロ入りが人生のグラフのピークで、その後に下がり続けるような人生はあまりにもったいない。だから俺は「諦めない」、「挑戦」、「一歩前に」、「ピンチはチャンス」といった理想を言ってきた。それはプロ野球選手を辞めてもずっと通用するから。

 今年は自分が「退任する」と言った中で、開幕で失敗し、チームもボロボロになった。監督が選手に伝えられることは年々減ってくる。長くやるメリットもあるが、デメリットもある。全力で取り組むのは今の俺の力では4年なのかなと思った。だから発表したが、完全に裏目に出た。もちろん、プラス面、マイナス面を考え、軽々しく伝えたわけじゃない。でも、あれだけ結果がダメだったら、周りからもいろいろ言われ、チームの雰囲気は落ちるし、俺の気持ちも落ちる。チーム全体が落ち込む原因をつくったことに責任を感じた。そんな中で最後に3位でCSに出られて、みんなが救ってくれた。ホンマに感謝や。選手、コーチ、スタッフ、みんながチームを救ってくれた。

 どこの監督よりも選手の背中を押してきた自信はある。俺は行動は認めて、結果だけで評価しない。攻めた守備なら、エラーをしても次につながると言ってきた。成長できているかどうかが大事。4年間のうち3年がコロナ下で選手と親密に話せなかったのは残念。先月の広島遠征でやっと佐藤輝や中野とゆっくり話せた。輝は人間的にも選手的にもすごく魅力はある。ただ、上下の振り幅が大きい。無駄なことが嫌いだから「輝、俺はおまえのこれからには無駄は必要やと思うで」と言った。「無駄な練習もあると思っているやろ?」と聞くと、アイツは素直に「はい」と言う。でも、無駄にするかしないかはアイツ次第。連続ノックでも連続素振りでもそれをやることで体のキレが出たり、軸ができることもある。「人間はそんなに真っすぐ一直線に行けるものじゃない。右に行ったり、左に行ったりがあってこそ、いろんな発見もあると思うで」という話をした。すごく面白いやつ。でも使う方はいろいろ迷わせてもらった。

 選手たちが、何年後かに俺の伝えてきたことを「ああいうことを大事にしていて良かったな」と気づいてくれたらうれしい。もっと言えば、ユニホームを脱いだ後に「あの時間を一緒にやれて良かったな」と思ってくれたら。まだまだ成長できる選手たちだから。可能性を信じて、自分が満足する野球人生を送ってほしい。その上でプロである以上、ファンを喜ばせるのが仕事。姿勢や言葉でもファンに影響を与えたり、何かを伝えることを目指してやってほしい。(阪神タイガース監督)

 ◇矢野 燿大(やの・あきひろ)1968年(昭43)12月6日生まれ、大阪府出身の53歳。桜宮、東北福祉大を経て90年ドラフト2位で中日入り。97年オフにトレード移籍した阪神で正捕手に定着し、リーグVの2003、05年はベストナインとゴールデングラブ賞。10年引退。通算1669試合で打率.274、112本塁打、570打点。16、17年は阪神1軍作戦兼バッテリーコーチ、18年は阪神2軍監督を務め、19年から阪神監督。

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2022年10月15日のニュース