桐生第一・鈴木隆「夢だった場所」に記録員としてベンチ入り 宝物手に満足感

[ 2020年8月16日 14:45 ]

2020年甲子園高校野球交流試合   桐生第一2―3明石商 ( 2020年8月16日    甲子園 )

<高校野球交流試合 明石商・桐生第一>明石商に敗れ、ベンチ前に整列する桐生第一ナイン(撮影・坂田 高浩)
Photo By スポニチ

 近くて遠い甲子園のマウンドだった。三塁側のベンチ。記録員としてベンチ入りした桐生第一の鈴木隆太(3年)は、憧れの地を噛みしめていた。

 「高校最後を甲子園で終われた。仲間に感謝したい。夢だった場所。最高です」

 甲子園のマウンドで投げる夢は叶わなかった。でも、ベンチで仲間と一緒に戦った。役目はスコアを付けるだけではない。データを元に相手打者の傾向を伝える。初回、プロ注目の明石商・来田の打席で遊撃手・飯塚を二遊間方向へ寄るように指示。強い打球がそこへ飛び、飯塚が難なくさばいた。「センター方向への打球が多い打者なので」。昨夏の甲子園ベスト4・明石商と大接戦を演じた裏には、鈴木隆の力も少なからずあった。

 幼少時に兄・翔太さん(21)の影響で野球を始めて投手一筋。左腕から制球重視でテンポよく投げ込む技巧派だ。小6のときに西武Jrで12球団Jrトーナメントに出場し、春日部ボーイズではエースで関東大会準優勝。埼玉県内で注目された投手だったが、桐生第一ではメンバー入りできなかった。コントロールが武器で最速127キロ。「球速が足りなかった」。でも、投球スタイルは3年間変えることはなかった。

 「一度は立ちたかった」という公式戦マウンド。この日の第2試合には、西武Jrでチームメイトだった高崎健康福祉大高崎・戸沢が「3番・中堅」で出場していた。でも、目標だった甲子園で試合ができた。「どんな形でもベンチに入れてうれしい。甲子園は凄く広くて楽しかった」。そう話す鈴木隆には満足感であふれていた。進学希望だが、大学で野球は続けない。大きな宝物を手に、技巧派左腕は甲子園で野球に区切りを付けた。(秋村 誠人)

 ◆鈴木 隆太(すずき・りゅうた) 2002年(平14)9月28日生まれ、埼玉県さいたま市出身の17歳。幼稚園の年中から野球を始め、小1から少年野球チーム「三橋ヤンキース」で投手。小6のとき、西武Jrで12球団Jrトーナメントに出場した。中学では春日部ボーイズでエースとして関東大会準優勝。1メートル70、70キロ。左投げ左打ち。

続きを表示

この記事のフォト

2020年8月16日のニュース