履正社・関本 父譲りの“必死のパッチ”好捕&初安打初打点、二盗阻止×3で昨夏決勝カード勝利貢献

[ 2020年8月16日 05:30 ]

2020年甲子園高校野球交流試合   履正社10―1星稜 ( 2020年8月15日    甲子園 )

<星稜・履正社>ナインに声をかける履正社・関本(撮影・大森 寛明)
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 昨夏の甲子園大会決勝の再戦で、履正社(大阪)が星稜(石川)に大勝した。履正社は、今秋ドラフト候補の関本勇輔捕手(3年)が自身甲子園初安打となる適時打を放ち、守っても3度の二盗を阻止するなど攻守に活躍した。阪神で活躍した父の関本賢太郎氏(41=スポニチ本紙評論家)も一塁側スタンドで見守り、本紙に観戦記を寄せた。

 圧倒的な力で昨夏決勝戦の再現となる一戦を制した。主将、4番、そして扇の要としてチームの先頭に立った関本は「先輩方が決勝でやっているので強い思いはありました。倒す相手だと思っていたので素直に安心しました」と少しだけ、表情を緩めた。

 攻守で存在感を示した。4―0の2回2死一、三塁、初球のスライダーを狙い、貴重な追加点となる左前打。守備では5回から3イニング連続で、二盗をストライク送球で阻止した。「甲子園ではしっかり周りを見て、投手を引っ張ると常に思っていた。守備は落ち着いてやることだけ考えた」。二塁送球1・84秒の最大の武器を冷静に繰り出した。

 高校野球最終戦を控えた前夜、父・賢太郎氏からは、「全力でやってくれ」とシンプルな言葉を掛けられた。昨夏は優勝したチームの中で1試合も出場できなかった。15年10月4日。父の阪神での引退セレモニーで球場に立った。見上げた超満員のスタンドは今でも鮮明に覚えている。「今まで野球をやらせてもらったことに対する感謝の気持ちを、プレーで恩返しできたらと思っていた」と言った。

 プロ志望だけに「また甲子園の土を踏みたい」という。「3年間の集大成の場でもあるし、野球がなくなっても、人間として評価されるために感謝の気持ちが大事」。全力で戦い抜いた3年間。高校野球からさまざまなことを学んだ。(桜井 克也)

 ◆関本 勇輔(せきもと・ゆうすけ)2002年(平14)9月28日生まれ、兵庫県出身の17歳。夙川小1年から軟式野球を始め、投手兼遊撃手。苦楽園中では兵庫西宮ボーイズに所属し、捕手としてプレー。履正社では昨年センバツからベンチ入りし、昨秋から主将。1メートル77、85キロ。右投げ右打ち。

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