磐城の大投手だ!沖 痛みに耐え覚悟の114球完投「夢の甲子園で夢を見つけた」

[ 2020年8月16日 05:30 ]

2020年甲子園高校野球交流試合   磐城3―4国士舘 ( 2020年8月15日    甲子園 )

<国士舘・磐城>イニングを終える度に笑顔でベンチにもどる磐城・沖(撮影・成瀬 徹)
Photo By スポニチ

 2020年甲子園高校野球交流試合は15日、3試合が行われた。第2試合では、今年のセンバツに21世紀枠で選出されていた磐城(福島)が95年夏以来となる甲子園で、国士舘(東京)と対戦。沖政宗投手(3年)は、7月に右肘付近に痛みを訴えたが、8回9安打4失点(自責2)と投げ抜いた。昨秋の東京大会王者相手に3―4と惜敗したが、甲子園というかけがえのない一瞬のため、最後まで右腕を振った。

 沖は浜風を感じ、目の前に広がる広大なグラウンド、そしてアルプススタンドを見た。「小さい頃からこの甲子園を夢見て野球をしてきた。ここに選手として立つんだ」。その瞬間、背番号1から迷いは消えていた。

 定期試験で10日間のオフが明けた7月2日、右肘に突然、異変を感じた。3~5月の約3カ月の活動休止期間もあり、夢舞台へ向け一気に負荷をかけたことで、元々弱かった右肘の筋肉に痛みが出た。「何やってんだろう…」。自信を失いかけブルペンで泣いた。痛みは引かなかった。

 病院での検査結果は「異常なし」だった。さらに、医師からは「甲子園で投球しても後遺症はない」とも言われた。まだ痛みが残っていた右腕を左手で押さえながら誓う。「この先も野球ができるのなら、痛みなんて関係ない。甘えることなく、エースとしてあの地に立つ」。福島県の代替大会も4試合のうち、登板は2試合で13回1/3にとどまり、全力では投げられなかった。ここ数日間は本格的な投球練習も行っていない。仲間にも状態は詳細に伝えなかった。

 「一番高いマウンドに立っているやつが、暗い顔してたらチームの士気が下がる。助けてもらった皆と、最後まで笑顔で投げきろうと思った」。打たれようと、点を取られようと、扇の中心には仲間を信じる笑顔があった。71年夏。「小さな大投手」と言われた田村隆寿を擁して準優勝を果たした。コバルトブルーの魂を受け継いだ男は、悲そう感を一切見せなかった。

 そんな覚悟に甲子園も力を貸した。8回。先頭打者を129キロの直球で空振り三振、2死から見逃し三振を奪った。この日の奪三振はこの2つだけだ。「最後は自分の肘が壊れようとも、0で抑えてつなごうと、ミットだけ見て投げた」。最速141キロを誇るが、序盤は120キロ台。その直球は終盤に130キロ台へと上がった。

 「1週間500球」の球数制限がある。選手も指導者も故障には敏感だ。だが、春も夏も甲子園は中止となり「高校野球の95%を失った」と思った沖は投げることだけを考えた。名前の「政宗」は仙台出身の父・浩昭さん(50)から「先見の明があり強く育ってほしい」との思いを込めてつけられた。故障への恐怖に勝った114球。沖は強かった。

 夢は続く。東京六大学へ進み、神宮でプレーすることだ。

 「この場所はとても不思議でした。たったの2時間で、凄い成長ができた。もっと上のレベルでやりたいと、また頑張ろうと思えました。人生最高の思い出です」

 たった1試合の甲子園。沖は、かけがえのないものを手にした。(秋元 萌佳)

 ◆沖 政宗(おき・まさむね)2002年(平14)4月23日生まれ、福島県いわき市出身の18歳。平三小2年時から小名浜少年野球教室で野球を始め、捕手と三塁手。6年時には楽天ジュニアにも選出。平三中ではいわきリトルシニアでプレーし、遊撃手。磐城で投手となり、昨秋から背番号1をつける。1メートル80、77キロ。右投げ右打ち。

続きを表示

2020年8月16日のニュース